「あ……」

アンの身体から、ふ……と力は抜け、リドリーの手に引っ張られるままに、足が──境界線を跨ぎ、一歩前に踏み出した。

「っとと……」

アンはよろめき、続けて二歩三歩と足を交互に前に出してリドリーに受け止められた。

「おっと……お!?」

急に抵抗が消えたことで一緒になって後ろへ二歩下がって受け止めたリドリーの手は、見た目通りの女性の体重を感じ取った。なんだったんだ今のは…………? 一瞬、この娘の身体がとても重く感じたが──。彼がそんなことを考えながら見下ろすその娘は、ぼぅ……っと、後ろを振り返っていた。

「アンさん…………?」

「……あっ、はい…………!」

名前を呼ばれたアンは前を向きリドリーを見上げ、やっと我に返った。その上でまた振り返り、後ろに拡がる森を見た。

そこには──誰もいなかった。

ただ。木々が作り出す濃い影が、森の奥を塗りつぶしていた。

「悪いがアンさん、急いでくれ」

安心したリドリーは次の瞬間には妻の事で頭がいっぱいになり、急いで荷馬車に乗り込み、アンを急かした。

「え。……ああっ! はい、わかりました」

じっと森を見ていたアンは、前へ向き直り、リドリーが乗る荷馬車に乗り込んだ。そしてまた、後ろを振り返った。

「はっ!」

リドリーが掛け声をかけて手綱で馬に合図をすると、馬はゆっくりと歩き出した。ガタン、と音を立てて荷馬車の車輪が回り出す。荷馬車は進む、ガタガタ揺れて。荷馬車はゆっくり進む、焦る主人を乗せて。荷馬車は前へ進む、後ろ髪引かれるように振り返る者を乗せて──。