明和二年(1765年)の春のことである。

菊之丞の見世でも客に望みを聞いた、羽左衛門の店と違い、客は喜んで話した。

「何をお求めで?」

「路考さんみたいになれるもの!」

「綺麗になれるもの!」

町娘は、「自分は菊之丞になれる」と信じていた。

町娘は、「菊之丞は自分と同じだ」と思っていた。

菊之丞は町娘の神様だった。

「そりゃ、その顔で路考になれるか!といいたい女もいますがね」

松七郎とともに羽左衛門の店をやめ、路考の見世に移った健三が嬉しそうに言った。

「女たちはね、路考さんのように、綺麗になる手だてを探しに来るンですよ」

ある時、頭巾を被った武家の奥勤めと見える婦人が、見世の中を見回して、

「これを」

白粉と紅が入った袋を指さした。

「少々、値が張りますが」

松七郎が、静かに答えた。

「これを二十個、屋敷に届けるように!」

と、大名小路にある、高名な九州のお大名家の名を言った。

一度の商いが四十両であった。

「客は美しくなりたいために来る」

菊之丞の見世に来る江戸の女たちは、ちょっと努力すれば路考のようになれると思っていた。

菊之丞の見世は化粧品を売っていたのではなかった。夢を売っていたのである。

客に希望を聞き、白粉、紅、化粧に関する、路考の見世にしかない物を新しく作った。高価になったが、それでも売れた。あっという間に見世の売り上げは伸び、明和二年の暮には、売り上げで芝居町の一番になった。

菊之丞の夢は、いとも簡単に実現した。

【前回の記事を読む】当時の江戸の人々は「女が美しいのは京都」と誰もが思っていた