第一章
桜町の家での生活にもすぐ慣れた。
父の本妻さん、名実共に新しく賢治の母になった人は、城の東にある工町の箪笥職人の娘で、丸髷を結った小柄な人で名前は「ナミさん」といった。この家に嫁いでしばらくは子どもが生まれないことからずいぶん肩身の狭い思いをしたらしい。舅、姑が相次いで亡くなってからは、店の奥を切り盛りしているしっかり者で、職人の娘らしく気取らない明るい女だった。
老舗の大店の奥さんだから、ツンとしたいやな女だったら困るなと思ったこともあったが、それは杞憂だった。賢治には母親というより、歳の離れた姉のように接してくれ、父との夫婦仲も悪そうには見えなかった。
もしかしたら、月々の若松町の母への手当とは別に、盆暮れの付け届けを賢治に持たせて届けさせるようになったのも、桜町の新しい母の、若松町への心遣いだったのかもしれない。この夫婦に子どもが授かっていれば俺は生まれてこなかったかもしれないなと思った。
甲府連隊の「軍旗祭」に行ったのもこの頃である。
新しい母が、
「お父さんがね、今年の軍旗祭に賢治さんが花富久の皆さんを誘って行ってきたらっておっしゃるの。もうお話はしてあるそうよ」
これでは「提案」ではなく「命令」だ、と思ったが、心遣いがありがたく、そうすることにした。
大正十一年の四月十五日に初めて開かれた甲府連隊の軍旗祭は、以後恒例となっていて、毎年桜が散り始めるこの時期に行われていた。日頃いかめしく近寄りがたい連隊も、この日ばかりは営庭を開放して、市民たちに見学させた。山梨県内は勿論、出身兵が多い神奈川県下からも兵隊の家族、親戚、友人などが大勢詰めかけた。甲府駅から連隊へ向かう道筋の朝日町や連隊前の通り沿いには土産などを売る店が並び、賑やかなお祭りだった。
今年も、営門に日の丸が掲揚され、営庭や中隊の中には万国旗が飾られ、兵隊たちの着る軍服も正装になって、肉親や友人との久しぶりの面会を楽しみにする雰囲気が連隊を覆っていた。
「賢治が誘って」と父はいったそうだが、甲中生徒は県下の他の中等学校の生徒と一緒に午前中の式典のあとに行われる分列行進に加わったり、他校との模擬戦に参加したりするため午前中は花富久のみんなとは別行動になった。