第一章

「こないだの、松坂屋の出張販売、すごかったわね。桜座の跡地を借り切っての臨時売店だけど品揃えが多くて安いのよ、なんたって甲府で東京の買い物ができるんだもの」

明治、大正を通じて芝居小屋、活動写真の小屋として賑わった桜座は衰退し、跡地に桜座百貨市場という平屋の貸店舗を設けていたが、店内は薄暗く、ただ、だだっ広いだけの施設だった。それでも買い物は女の楽しみのうちでも最大のものかもしれない。出張販売には驚くほどの買い物客が訪れた。

「昨日の宴席で聞いた話では、商工会議所の議員の旦那衆が、あれに対抗して地元の連合売店を計画したんだけど、結局まとまらなかったんだって」

お客から聞いた話を口外することは芸者にとって御法度ではあったが、仲間内では、特に自分たちの生活に関わることは恰好の話題になる。

「お馴染みさんたちのお店がだめになっては困るけど、ああいうお店ができるのは嬉しいわ」

「昨日のお座敷、かなり酔った相生学校の校長先生が、ダンスを踊るっていうんだけど、ただ抱き着いているだけ。しまいには背中に回した手で腰やおヒップのサイズ調べよ」

こういう話の他には、

「あの置屋の何々姐さんが、旦那に浮気を疑われて布団巻きにされたんだって」

「えー、あの旦那、茶席で正客を務めているのを見たことあるけど、五十絡みのいい男よ、自分が身請けした芸者が他の男に気安い顔をするのがいやなら、座敷に出なくてもいいようにしてやればいいのに」

とか、

「先月の何々姐さんのお披露目、チョット地味すぎたと思わない。あれね、身請けした旦那が『身請けしたのはいいが、お披露目に金がかかりすぎる』って、よしゃいいのに同業者に嘆いていたんだって」

「あの旦那なら、それも大ありね。婿養子だっていうけど、とにかく言うこと為すこと細かいの、ケチよ。私だったら御免だよ」

置屋の中では日常的にそういう会話が交わされていた。ならして芸者衆の評判が良くないのは、威張り散らす階級が上の軍人、慇懃な態度は崩さないが小狡さそうで人を見下している御役人、謹厳実直なふりしてムッツリスケベの学校の教師。こういうことは、置屋で育った頃にはまだ理解できる歳ではなかったが、「ああ、そういうことか」と大人になってから合点がいった。