賢治は中学三年になった春、甲府一の繁華街、桜町の父の家に引っ越した。店は間口五間の立派な二階建てで、正面には左右に飾り陳列棚を作り、四季折々の洒落た柄の反物を並べるなど、新しい趣向を取り入れていたが、店内は昔ながらの畳敷きに帳場という売り場だった。入り口には鍵山に源の字を染め抜いた暖簾がかかっている。店の奥には和風の中庭を通って裏の住まいに続く曲がり廊下がある。廊下の手前に二階へ続く階段があり、賢治は二階の一室を与えられた。
自分の部屋の外に面したすりガラスの引き戸を開けると、隣の料亭、魚竹楼の石灯籠や築地を配した庭越しに、奥座敷が見える。この料亭は歴史も古く座敷数も多くて甲府では格が上等とされていて、客筋もいいと姐さんたちから聞いていた。それというのも、この家のお内儀は芸者の躾に厳しく、芸者が呼ばれて、勝手口から入って
「今日は有難うございます。よろしくお願いいたします」
と挨拶する間に頭のてっぺんからつま先まで観て、さらには後ろ向きにさせて帯の結びまでチェックして、気に入らないとお客さんの指名であっても座敷に上げないそうである。
賢治はこの部屋に今までの住まいから持ってきた荷物を運び込んだ。引っ越しといっても机や布団を運ぶ訳ではない。柳行李一つにも満たない私用の身の回りの物だけだ。マッチやチラシ、包装紙の大切なコレクションは勿論だ。行李の中に、教科書の他に十数冊しかない雑誌や単行本に混じって、買ったまま、まだ読んでいない雑誌があることに気が付いた。
それは、中学入学時に指定された本屋に教科書を買いに行ったとき、『広告界』という雑誌の名前と、きれいな図案の表紙に目を引かれ、思わず買ってしまった本だった。買って帰ったときは、ざっと目次を見て難しそうな本だな、と思ったまま本棚の中にしまっておいたのだった。片付けの合間に改めて読んでみると、「業界短信」というコラムが目に止まった。
「この度、明治大学広告研究会の今泉武治氏は、卒業を期に森永製菓に就職することとなった」
とある。確かに、『大学は出たけれど』と就職難がいわれている情勢の中、誰であれ一流会社に就職した人には御同慶の至り、という他ないが、たとえ業界の専門誌とはいえ大学生個人の就職情報が掲載されていることに驚かされた。
さらに読んでみると、よくわからないまでも、記事の内容は多岐にわたっていて『広告界』という誌名にもかかわらず、商品陳列技術、流行る店はなぜ人気があるのか、デパートメントストアの理論、卸業と小売店などの商店経営の問題から、効果的なチラシの作り方、お客の購買意欲に繋がる惹句(キャッチコピー)の書き方、図案例などが取り上げられていた。
さして美人とは思えないのに稼ぎのいい芸者がいるかと思えば、その姐さんより美形なのに、お座敷がかかる数が少ない芸者もいる。同じ種類の品を売っているのに、流行っている店とそれほどではない店がある。しょっちゅう安売りしているのに流行るのはそのときだけ、普段は閑古鳥が鳴いている店がある。
「そうか、商売にも巧いやり方や、その理屈があるのか」
と賢治は自分なりに納得した。そして、「大学」というところでそのようなことを研究しているらしい「広告研究会」の存在を知ったのである。