泣けないのは何故
その時、
「おい、お前」
茶色いジャケットに紺色のネクタイ。泉中の制服を着崩した卓也が聡の前に立ちはだかった。
「え、俺?」聡はとぼけた様子で自分の鼻先を指で指し示した。
「お前だよ」
卓也の仲間は他に二人いた。同じクラスの安田と今井だ。三人並んで立ちはだかるとちょっとした壁ができた。
「おい、お前、田村聡」
卓也はイラついた気持ちを、わざわざフルネームで呼び捨てて表した。
「おい、お前」ともう一回言った。
「俺の物まねして笑ってんだろ。いい度胸してんじゃんか」
卓也のゴリラそっくりの顔に肩をいからせて歩く姿はまるでそれだった。聡はそれを誇張して卓也の顔を面白可笑しくいじった。弱い者いじめをする卓也は生徒たちに恐れられていたが物まねされてから、少し怖がる生徒が少なくなっていた。それも気に食わないようだ。
卓也は広がった鼻の穴を思いっきり広げて俺たちの方に肩をいからせて歩き出した。
純太は笑いそうになったが、怖くてこらえた。聡が「ぷっ」と噴き出した瞬間、卓也が繰り出した足蹴りで聡の顔面に衝撃が走った。聡はその足蹴りを上手くかわせなかった。鼻血が飛び散ってぐらりと体勢を崩したところに重ねて足蹴りをした。
腹を押さえて倒れ込んだ聡の元に駆け寄って良いものか、判断を迷っていると、車道を挟んで反対側の道にいたおじいさんが騒ぎに気が付いて「こら! お前たち、何やってる」と怒鳴った。
卓也は「俺を甘く見てんじゃねえぞ」と捨て台詞を残して仲間と共に駅に向かって駆けていった。