上戸と下戸

人を大雑把に男と女に分けることができるように、酒を飲む人と飲まぬ人というようにも分けることができましょう。いわゆる上戸と下戸というわけですな。

私は今『居酒屋おばさんの下戸ですけど何か?』(佐原明子著幻冬舎)という大変ユニークな題名のついた本をパラパラとめくっては、大笑いしています。

自販機に向かって、

「すいません。すいません」

としきりに謝っているお兄さんはまだしも、電車の中で誰も寄り付くはずもない空いた隣の席に向かって、怒鳴り散らしている酔っ払いにはなりたくないものだとつくづく思った次第です。かといって、

「ママって本当にお酒飲めないの~、人生の半分損してんね~」

などと、可哀そうがられるのも癪にさわります。

「芳醇な香り」という表現は、新茶の品評会で言うのならわかるが、どうして利き酒の会で同じ言葉が使われるのか全く理解不能と宣う下戸の「居酒屋おばさん」は、はたして人生で損をしているのか、得をしているか、どちらでしょうか。

そこでこの国の歴史に名を残した有名人を上戸と下戸に大別するとしたらどうなるか。彼らの人生の損得を酒の上から検証してみたら面白いのではないかと考えました。

上戸組の筆頭は、前章で取り上げた戦国武将・福島正則となるでしょう。「酒豪」の章では明治の軍人・秋山好古と、戦国時代の越後の名将・上杉謙信にも触れましたが、彼らも最上級の上戸といえるでしょう。

秋山好古はさておき、福島正則は酒が原因で、秀吉から下賜された家宝の槍を失うことになりました。謙信は馬上にあっても酒を離せず、酒を注ぐ手間を惜しんで三合は入るという酒器を用意させていました。これが有名な謙信の馬上杯。

馬も乗りものに違いありませんから、これは今日でいえば酔っ払い運転。一発免許取り消しということになってしまいます。馬にまたがらずに、輿に担がれた謙信など想像したくもありませんが……。

その謙信の死因は酒の飲み過ぎによる高血圧性脳溢血とか。もう少し節制していれば、北陸路から京へ駆け上り、天下の覇者となれたはずとも言われていますね。

そうすれば、謙信にしても正則にしても、上戸が過ぎたがゆえに損をしたと言えるのではないか。

一方下戸組となると、酒を飲まないから酔うことはないのは自明。酔うことがなければ、酔っ払って失態をさらすこともありませんから、彼らの周りには酒にまつわるエピソードが乏しい。

信長、秀吉、家康、光秀……。苗字を書かなくても名前だけでそれが誰であるかわかる人物は、なぜか戦国時代のこの一時期に集中しているのはひじょうに興味深いことです。

日本人ならだれでも知っているこの四人の武将に、なぜか酒にまつわるエピソードが残っていないのは、実は彼らは下戸であったからではないかと、俄か歴史学者(←私のことです)は考えるのですが、皆さんはいかが思われますか。これからそれを探ってみましょう。

【前回の記事を読む】「一日一合半」…この酒の量が健全だと思う人、酒飲みです