競技が再開されるや、足技に自信のあった万条は、たちまち少年を翻弄した。大御門と連携しながら、少年の動きを完全に封じ込めてやったのだ。
すると少年は、さらに卑怯な行動を取り始めた。
いきなり万条の目の前で両手を叩き、同時に、「わぁーっ」と大声で叫んだ。そして偶然を装い、体当たりを喰らわせようとした。万条を惑わせた隙に、体格差を悪用して、鞠を独り占めするつもりに違いなかった。もちろん万条は、そんなことなどとっくにお見通しだった。
素早く身をかわすと、振り向きざま顔面に目がけ、思いっきり鞠を蹴ってやった。
鞠は直撃し、少年の鼻から血が吹き出した。
こうなれば、公家のもろさが露呈してしまう。武家の少年とは違い、負けん気などカケラもなかった。少年は大泣きし、乳母の元へと逃げて行った。
万条が勝利に酔いしれている中、父親は真っ青な顔で立ち尽くしていた。幸いにも、その後は親王殿下のとりなしで、大きな騒ぎにはならなかった。だが家に戻る途中、万条は父親にこっぴどく怒られた。
「公家の顔を傷付けたら、あかんやないか」
それに万条は、こう言い返した。
「なら次は、金玉を狙います」
幼なじみの大御門は、そんな万条の姿を、つぶさに見てきたのだ。
それゆえ、無鉄砲さを忠告したのだが、万条はこの日、全国の医学校が整理される問題で、東京まではるばるやって来た。義憤に駆られ、役人と直談判するためだった。
つい最近、明治政府は医学校の国立化を強行するため、府県の税金を投入することを禁止した。そのため、どこの医学校も、廃校や統合の危機が訪れていた。六年前、甲種医学校に昇格したばかりの京都療病院医学校も同様だった。
万条が押しかけると、衛生局の木っ端役人は、いきなり現れた珍客を門前払いしようとした。
万条はとことん粘り、なんとか上司との面会を勝ち取った。そして大演説をぶったものの、結局体よく追い返されてしまった。作戦を立て直すため、いったん引き下がることにしたが、あいにくその日、宿を決めていなかった。後先考えず、勢いだけで飛び出してきたせいだった。
あてもなく歩いていると、岩倉具視が落ちたという四ッ谷濠を通りがかった。明治七年、喰違の変で襲撃されたときのことだ。
するとそのとき、大御門の顔がふと、万条の頭に浮かんだ。やはり頼れるのは、幼なじみだけだった。泊めてもらおうと、万条は大御門の家に行ってみた。
しかし夜に、先約が入っていた。後輩で、先月ドイツから帰国したばかりの、森林太郎なる人物との会食が予定されているとのことだった。
森林太郎といえば、かつて大御門からの手紙で、名前を聞いたことがあった。旧知の仲のような気がしなくもなかった。
「メシは大勢で食う方が美味い──」
万条は大御門をそう言いくるめると、ちゃっかりその宴席に加わったのだ。