自分史の「力強さ」

練習を始めてまもなく、万里絵の体は水に浮き、両の手足をバタバタと動かすとわずかながらも前方に進んでいることに気づいた。

「木賊さん、とりあえずは泳げていますね」

釣木沢が驚いた声を出した。

「そうでしたね」

思い出してみると小学生の頃、芽里衣に急かされて通った夏休みのプール開放で誰かに足を引っ張られて、溺れかけたことがあった。その時の恐怖以来、自分は泳げないと思い込んでいただけで、泳げないわけではなかったのだ。

「男子のいたずらかなにかでしたか?」

その話を釣木沢は興味深げに聞いた。

「いいえ、女子だったと思うわ。わたし、色違いの水着を二枚持っていたの。母が大人買いしてくれて。もしかしたら、それが目立っていたのかも」

「まあ、そういうことはおうおうにしてあるものですよ」

釣木沢は大様に応じた。

「わたしは父親も警察官でしてね。二年か三年に一度は転校を繰り返していたし、警官の息子ですから、敬遠されて友人もできませんでしたね。高校生になったら、親の転勤に付き合わされず下宿生活ができたから、ひたすら受験勉強と剣道に明け暮れる毎日でしたよ。特に友人がなくとも高校生活を送れましたよ」

「今では立派なSPになっておられる」

釣木沢は苦笑いした。

「じゃ、木賊さんは初心者ではなく、初級者クラスから始めましょう」

基本のストリームラインをマスターして、クロールで二十五メートル泳ぎ切れることを目標にすることにした。一緒にコンビニで昼食を調達したこともあって、プールサイドの中二階のギャラリールームで二人のランチタイムになった。一日中泳いでばかりというわけでもなかった。

地下一階にはプール施設の他にテレビを見ながらエクササイズできるランニングマシンや、フィンランドサウナを兼ね備えたバーデン施設、ゆったりくつろげるリラクゼーションルームもあって、充実のホテルライフを楽しめた。

夕方になって万里絵がランニングマシンのテレビを見ていると、年末報道特集で釣木沢が警護していた要人の献金スキャンダルが放映されていたのだ。

「ほら、ほら、釣木沢さん、映っているでしょう」

万里絵は隣のマシンで走っていた釣木沢に声をかけた。小さな画面の左上に人波で潰されそうになっている顔が映っている。しかし、視線は鋭く四方八方、上下に投げられていた。

「こんなに報道されているとは思わなかったな」

自分の姿を見た釣木沢がつぶやいた。二日目には水泳練習やトレーニング以外の時間も釣木沢と過ごすようになって、ホテル内の和風庭園を連れ立って散策したり、バラエティーショップを覗いたりした。三日目には一階のダイニングレストランで一緒に朝食を取った。