【前回の記事を読む】あまりにも過酷な登山から半月…極限状態で知る「人間の姿」

C-46・1129号機と私

発端(エンブリオ)

日時は定かではないが、事故が起きたのは、確か昭和三十八年の秋深いある土曜日の夕刻のことではなかったかと思う。その時刻、鳥取県の米子から境港に向かって伸びた弓ヶ浜(半島)の一帯は、冬近い山陰地方に特有のどんよりとした雲が低く垂れこめ、今にもみぞれ混じりの雨が落ちてきそうだった。

その雲の合間を縫って、一機のC-46が中海の側から弓ヶ浜の中ほどにある航空自衛隊の輸送航空団・美保基地に向かってアプローチしていた。気象隊からは、視程が急速に悪化しビロウミニマム(着陸限界)が迫っているとの情報がもたらされていた。

雲中で高度を下げファイナルが迫ってギリギリのところで、期待通りに雲の下に出て視界が得られた。だが、パイロットが前方に見たのは滑走路ではなく司令部庁舎前の道路であったと言う。

パイロットは直ちにリカバリーして、プロシージャーに従い型通りに着陸パターンを試みて滑走路にねじ込んだ。しかし、タッチダウンした地点はすでに滑走路の半ばを過ぎていた。

着陸滑走にともなって、滑走路前方ほぼ正面にあった国鉄境港線・大篠津駅が目の前に迫り、パイロットのブレーキ操作に力が加わった。尾輪式の機体はつんのめった形になり、尾部が大きく跳ね上がった。そして双発のプロペラが地面を掻き、その反動で機軸がズレ、尾輪はもんどりうって滑走路面に叩きつけられた。機体は尻もちをついた状態で擱座した。定期便の帰りで空身であった為に、人的な被害はまぬかれた。

美術展

毎年秋、航空自衛隊の入間基地ではエアショーが開催される。また、同時期には同じ基地内で「つばさ会美術展」が開かれている。二年ほど前その美術展を訪れる機会があった。出入口を入った右側の壁に掲げられていた、飛行機を精細に描いた数枚の秀逸な鉛筆画が目についた。いずれも懐かしい機種で、飛行状態の絵は珍しくしばし見とれた。

一通り見終わって出口に帰ってきたとき、その中の一枚に目が止まった。大山と思しき山頂を背に雲上を飛ぶC-46。近づいて、見た。尾翼に61-1129とある。「エ!」しばし、動けなくなった。

「29号機が飛んでいる!」。湧き上がってくる思いがある。

五十年以上も前のことになる。ある日、C-46・1129号機はいきなり私の前に立ち現れた。彼女は、最初、傷ついた哀れな姿で治療を乞う患者のようであったが、次の瞬間、私をあざ笑うかのようにもろ手を挙げて私の前に立ちふさがった。思いもよらぬ成り行きに、私自身は戸惑い立ちすくんだ。茫然自失の態だったと思う。

しかし、結果として、多くの人たちの知恵や経験の力によって傷は癒え彼女は立ち直った。そして、春の到来とともに静かに自分の持ち場に帰り、私の視界から消えていった。

だが、私の心の中には、人知れず紡いだ彼女との一冬の静かな交流があった。そして、その時は気付かなかったが、彼女が私に残していったものは大きかった。今になってみれば、一期一会とも思われる「29号機と私の物語」をお話ししようと思う。

[図表]C-46・1129号機 帆足孝治作(エンピツ)