【前回の記事を読む】吹雪の中に15時間…寒さと飢えが襲う「地獄の苦しみ」の記録

鹿島槍への道

布引の下りにかかる頃、信州の山々の背後から、濃い太陽が昇った。吹雪をまともに食らいながら振り返ると、黒部の幽谷を隔てて、剣の異様なまでに重々しい姿が、今しもガスをかぶろうとしている。

息つく間もない吹雪にあおられるようにして、七時四十分一気に南槍に登りきる。北西のかなたに、低く垂れこめた黒雲が左右に長く走っている。頭上では巻雲がさかんに南東に飛んで行く。黒雲は温暖前線に間違いないだろう。あと六時間は持つと判断する。

南槍の下りは不安定な岩が雪をかぶっていてかなりやばい。時間をかけて慎重に下る。ときどき、回り込む雪にあおられた雪が襲い掛かってくる。やがて、風から忘れられたような釣り尾根のこんもりした処女雪を踏みしめて、九時十五分北槍に立った。

雪の北槍の頂にDAACの赤い標識が立ち、五人のベルク・ハイルは力強く山をたたえた。顔をあわせ合うと、お互いのマツゲにはでかい氷がへばりついて、顔面は赤くただれて腫れあがったようだ。

九時二十分北槍を出て途中休憩し、十時半南槍頂上に帰る。剣は垂れこめた雲に隠れて、黒部の谷はますます暗い。さらに強さを増した吹雪をまともに食らいながら南槍を下り、布引を下り、雪庇を左に見て、冷乗越の森林帯で休憩、テルモスのココアを分け合って早々に出発。吹雪の稜線に別れを告げて赤岩(尾根)に入る。ここでは風も殆どない。ゆっくりとトレースを追って一時近く、高千穂平に帰ってきた。

なお、この日Aパーティーは大谷原のB・Hを午前零時に出発して東尾根を偵察したが、先を行ったパーティーが岩峰を越すのを待って時間を食われ、第二岩峰までで引き返している。

三十五年一月一日 

停滞。付近で雪の研究や雪洞掘りなどをして過ごす。ガスが低く垂れこめて終日小雪が舞い降りてきた。

二日 

Cアタック。Bサポート。条件は三十日と殆ど変わりない。布引の下までサポートして、帰りは足を延ばして爺岳に登ってくる。頂上で温度計はマイナス十五度を指していたが、フードをかぶっていないホホは風のためにむしろ痛いという感じである。Cパーティーも順調なピッチでほぼ同様のコースタイムで帰ってきた。

三日 

撤収。高千穂はかなりの風であった。テントをバリバリとはがすと、小さな凹地ができている。そこに犬コロみたいに寝て、毎夜二、三時間毎に這い出してラッセルしながら何日間か生活したというわけだ。下りは一時間ほどのラッセルであとはアイゼンを付けてポンポン下った。四時近くB・Hに着く。

四日―六日は、八方尾根で第二次合宿(スキー)を行った。