【前回の記事を読む】「どうして、生きているんだろう」夫を亡くし茫然自失の日々、辿り着いた答えは……
雄太へ
雄太へ 今伝えたいこと
今年のお正月、久しぶりに帰ってきた。かなり太っていてビックリしたけど顔を見てホッとしたのも事実です。友達と会ったり食事したりと家にいたのはほんの少しの時間でしたね。帰ると言ったのは三日だったように憶えてます。
帰るよと言われて気を付けてねと言ったものの何か言いたくなって玄関まで追いかけて「ゆう」って背中に向けて呼んでみた。振り向いた雄太の顔を見たら何も言葉が出てこなかった。
「何?」って言われて「やっぱ、いいや」って言うのが精いっぱいで部屋に戻ろうとした時、
「いいわけ、ないだろう!」って一度はいた靴をぬいでママのことを抱きしめてくれたね。
「こんな自分でごめん」。そう謝る雄太に「ママがいることを忘れないで」と言ってた気がする。
いっぱい泣いて雄太に抱きしめてもらって髪をなでてもらって、本当に嬉しかった。この時のことを思い出して何度も泣きました。離れて暮らす時間が長くなるほど雄太の心の中からママがいなくなってしまっているような気がして不安で心細かったんだと思います。
色んなことがあって雄太も将太もそして、ママも苦しい毎日でしたね。ママは早く死んでしまいたい気持ちで何もかもがどうでもいい! そんな日々でした。雄太に抱きしめてもらって生きていて良かったと思った。しばらくして、もしかしてパパが雄太に乗り移ったか?なんて思った。まさかと思うかな? これから思い出すことを残していこうと思います。
雄太が生まれた時の話
ママが結婚したのは三十七歳の一月十五日、大雪で親戚が集まれなかった。その年の十月十八日、雄太は帝王切開で生まれました。三十八歳になるちょっと手前でした。人生最良の日でした。パパは自分の名前から一文字取って付けたくて雄の字を付けた。ママは悠にしたかったのですが譲りました。
雄太は病院にいる時から手のかからない赤ちゃんで助かりました。よく寝てミルクもしっかりと飲んでくれました。憶えてないと思いますが、パパはいつもお風呂に入れてくれて雄太がお風呂で気持ちよさそうな顔をするとカメラ持ってこいと言ってはママに撮らせてました。だから雄太の写真はいつもパパと写っています。ママとの写真はほとんどありませんよ。手のかかることがあまりなくてママを困らせなかった。
一歳になってすぐに将太が生まれてそれでもヤキモチを焼くこともなく優しいお兄ちゃんでしたね。ママは良いママになりたくて頑張ったつもり……今考えると自分勝手な自分のための良いママでしたね。雄太にとってはかなり迷惑なことだっただろうな。