【前回の記事を読む】「求道」への志は偶然ではなかった…ヨガ道場での講義に驚愕!

第二章 沖ヨガ創始者の沖 正弘先生との出会い

沖 正弘先生の略歴

さてここで“沖正弘”と言う方がどんな方だったのかを簡単に振り返ってみようと思います。生まれは、1921年。私の知るところによれば沖先生のご両親は大変な人格者だったと言うことです。警察の署長をされていた父上は、絶えず座禅を組むような方で沖先生は小さい頃から一緒に組まされたと言います。

少年時代から剣道・水泳などの身体訓練に始まり、精神面でも当時の精神的な指導者に紹介されたという事です。後の章で書きますが、沖先生が日本にヨガを紹介した中村天風に会われたのも少年時代だったと、沖先生の著書「瞑想ヨガ入門」には書かれています。

ともかくなんでも簡単に諦めず、何事にも立ち向かう教育を受けたという事です。また母上は信仰心篤い方であったと聞いています。ただし病弱で寝ていることが多かったようで、その母上は沖先生がまだ若い時に他界されたのでした。そのために先生は下の兄弟達の面倒を見なければならなかったようです。

そんな家庭環境の中で沖先生は子供の頃から自立心が育ち、他人に命令されることが何より嫌いと言う性格も形成され、そして物凄い努力家であるという沖先生の基本的な性格が作られたのでした。私が覚えている講義中の沖先生の言葉で

「何事もやってやってやり切るんだ。物事を習得するには命がけでやらなければ駄目だ、倒れるまでやれ、失神するまでやるんだ!」

「本当の努力と言うものは倒れるまでやることだ」

「中途半端なことはやるな!」

とよく言われていました。そんな講義をされていますから正座の脚も崩すことが出来ずかなり辛い状況でお話をお聴きしていましたが、途中で

「崩してよし!」

の言葉で「やれやれ」と思って正座の脚を崩したものです。おそらく当時の受講生は皆同じ思いであったろうと思います。

大阪外語大学で語学(モンゴル語)を習得されます。当時から外国で仕事をすることを考えていたのだろうと思います。おそらくすぐ任務に就くことになる特務機関の潜入の仕事の準備もあったのでしょうか。

先程書きました哲人といわれた中村天風先生も特務機関・情報工作の仕事(任務)をされています。天風先生の場合は日清・日露戦争という随分前の話ですが。当時特務機関に入ることが出来たのは特別に優秀な男子であったようです。命も要らぬ名も要らぬと言う精神でお国に尽くす方が情報工作の仕事に就かれたのでした。

軍の特別訓練を受けた上で、戦時中は中東方面イラン等に潜んで情報工作をしていたようです。その時に潜入工作としてラマ僧に化けるためにチベット仏教やチベット医学を学ばれたようで、インド赴任中にここで初めてヨガとアイユバティック医学なども学ばれます。