これは本人から佐伯がじかに聞いた話だ――学生時代に新宿の歌舞伎町界隈でヤクザと渡り合って彼らのアジトに連れ込まれたことがある。その部屋で「タマを抜いてもらう」とヤクザに凄まれた。“タマ”とは男のあのタマのことかと真っ青になった。しばらくして放免されたが、あの時は体中から血の気が失せて、あとでどっと冷や汗が出た、と笑いながら話していた。

でも斉田はよく人を担ぐ人物だったから話半分に聞いた。それがどうやら本当の話らしいと分かったのは工藤先輩の話を聞いてからだ。

「工藤さんの話では、ある時夜更けてから繁華街を歩いていて斉田さんと出くわしたことがあると言っていました。一人の男が風体の良くない二人の男から殴られて頭から血を流している。ぱっと見ると斉田先生だったんでびっくりしたそうです。その頃先生は三十代初めだったらしいです。

工藤先輩は友人と一緒だったんで助けに駆け付けるかたわら奥さんに電話したら幸い奥さんは家にいた。その頃はまだ千葉に家を買う前だったらしくて夫妻は飯田橋に住んでおられたそうです。自分たちは怖いのを我慢して――もっともその時は夢中だったそうですが――男たちの間に割って入って先生を助けようと必死になってヤクザと揉み合った。

工藤さんはヤクザに殴られて怪我もしたらしい。そうしたらパトカーと奥さんの乗ったタクシーがほとんど同時に着いて二人のヤクザは慌てて逃げて行った。工藤さんと友人が警察の聴取を受ける一方、奥さんは頭を割られて血を流している斉田さんを救急車で病院へ運んだ。ところが救急隊員の応急処置が不完全で搬送中に傷口が開いてまた出血した。

その間奥さんは頭の傷口をずっと自分の手で押さえていたそうです。悲鳴も上げなかったしガタガタ震えもしなかった。結局八針縫ったそうです。奥さんは斉田さんの傷が治るまで付きっ切りで看病した。怪我のせいで小説の原稿は大分期限を切りましたがね。工藤さんは奥さんのことを『気丈なえらい奥さんだ』としきりに誉めていましたよ」

松野は斉田がどうしてそんな暴力事件を起こしたと思うかと佐伯に聞いたが彼は首を振り、分からないと言った。

「ただ工藤先輩は『いつもは笑い話で人を楽しませていても実際には斉田さんは大変な努力家だ。大変さを人に見せないだけだ。小説家というものは人とは違った苦労を背負っているものだ。斉田氏もその例外ではない。創作の重荷から来るストレスが原因でヤクザとごたついたりしたんじゃないか』と言っていました」

「それじゃ女性関係が派手だったのもストレスのせいか?」

佐伯は「さぁ」と首をかしげてから、きっと先生は女性が好きだったんだろうと言ったので松野は男なら皆そうだと言って二人は笑いあった。

【前回の記事を読む】【小説】刑事が告げた驚きの事実「あの息子は何か隠している」