九月二十六日・中原純子絞殺未遂事件から七日目
二日間は、高倉豊も捜査本部も、何も収穫がなかった。一見すると身内の犯行で決まりなのだが、目撃者はなく、事件への関与が疑われる人物達からの自供も得ることが出来なかった。
同日夜に高倉豊は、兵庫県警察本部・捜査一課・強行犯捜査2係の係長からという、ファックス用紙を庶務班から受け取った。それによると係長の夏川恭壱は、警視庁の捜査共助隊からの要請が正式にあったので、赤穂の捜査本部を離れ、警視庁の強行犯捜査2係に明日の午前中のうちに、一人で合流するようにと高倉豊に指示していた。もちろん、警視庁の未解決難事件を捜査するためである。
主任である高倉豊は、係員を従えて捜査に当たるものと思い込んでいたし、それが通常の捜査のやり方だった。そもそも今回の中原純子絞殺未遂事件の、捜査に加わったこと自体が異例なことだった。そのときに警視庁への合流の可能性を、夏川恭壱から示唆されていたので、どんな指示があっても驚きはしないという、覚悟は決めていた。だから高倉豊が携帯電話を使って、夏川恭壱に連絡を取ったときの口調は、極めて事務的なものになった。
しかし実のところ高倉豊は、「分かりました」と言っておきながら、自分一人だけが警視庁の捜査に加わることには、かなりの抵抗感があった。
夏川からは、高倉豊よりはまだ幾らか温かみのある口調で、「頼んだぞ」という言葉をもらった。
高倉豊は、翌日の午前六時台の新幹線で東京に向かった。今回の捜査手法に対する疑念を抱いたまま。