ところが、せっかく言わずにおいたのにもかかわらず、あとから思えば結果的には良かったのかもしれないが、五人全員それぞれの希望する芸事のお師匠さんに正式に入門させられ、本格的なお稽古をする羽目になってしまった。

この一件が影響したのかどうかはわからないが、本家の予てからの強い望みであり、もうすぐ十五になる男の子を、女ばかりが暮らす家に置いておくのも剣呑だという父の主張が通って母が折れ、これ以降、賢治は桜町にある鍵源の店の裏にある本宅から通学することになった。

賢治は歳の割に「ませた」少年だった。いい換えれば世間ずれしていたといってもいい。芸者置屋の二階に自分用の四畳半を与えられていたとはいえ、折に触れ母を始めとする芸者さんたちの会話に幼い頃から接していた。

それは、「惚れた、腫れた、の色恋の話」に限らない。お座敷では、役人のお偉いさんや大会社のご重役、地元や東京の政治家先生、軍人さんなど、地元の政財界に影響力のあるお客さんが各種の会合や宴席を張る。そこでの芸者の役割は、お客どうしの会話を盛り上げたり、ときには話のお相手も務めたりしなければならない。

そこでは様々な会話が交わされる。景気の動き、戦争の動向、選挙の情勢など、お座敷で聞いた話は口外しないことは鉄則だ。「お一つどうぞ」とお銚子を傾けお酌する。

「うん、お前も、まあ一杯」と、空けた猪口を芸者が受けてご相伴にあずかる。

この程度なら誰でもできそうな仕事だ。座がしらける頃合いを見計らって、音曲と踊り、芸達者なお客の謡の伴奏。盛り上がったところで、野球拳で「よよいがよい」。太鼓持ちと呼ばれる幇間を入れることもある。

お座敷での芸者は、お客からの返杯などは勿論、お酒を飲むのは無制限。ただし、いくらお客に勧められてもお料理などに箸を付けるのは御法度である。

芸者の人気は美人かどうかだけではない。どこの世界でも器量が良くて損することはない。しかし、芸者は美人で芸がうまくて若ければ人気があるかといえばそうとは限らない。ご指名が多い芸者の共通点は、「お客を逸らさない」ことだと賢治は思う。

そのことを知っている芸者は努力している。どんな話題でも、お客に問いかけられたり話を振られたりしても「……?」では困るのである。

人気のある姐さんは毎日必ず地元の新聞をすみからすみまで目を通す。わからないことがあれば、それなりの別のお客に教えてもらう。聞かれた客はうれしいものだ。

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