執務に余裕を感じ始めたうえ、すでに本土内の主要な視察は一巡したとみた光三は、秘書課長に折あるごとに奄美視察の件を進めるように促していた。しかし、なかなか具体的に動き出さない。短気な光三はしびれを切らせてくる。
ある日、いつもより強い調子で急かしてみた。秘書課長は、内心をオブラートにつつんでいるかのような感じで応じた。
「知事、奄美へのご出張は、船旅がかなり難儀な往復になると存じますが」
「そりゃ、心配無用だ。島旅での航海は若い頃から馴れておる」
「はあ。ですが、これまでの知事方で、ご就任から数カ月足らずで奄美へ渡られた記録はございませんが」
光三は、秘書課長が自分の奄美行きについては、なぜ頑なまでに消極的なのかが解せない。もはや、時期尚早でもないはずだが。もしや、秘書課長の背後で県庁幹部の誰かが反対しているのではないか。なぜなのか。
「前例なんぞは、どうでもいい。島嶼部といっても、県内だ。早く実情をつかみたいのは当たり前じゃないか。それから実は、個人的にもちょっと縁のある島なんでな」
秘書課長が個人的な縁とはと、怪訝な顔をみせた。つい口をすべらしてしまったと感じた光三は、慌てて言い添えた。
「いや、大したことじゃないんだが、愚妻の先祖が奄美の出なんだよ」
「そうでいらっしゃいましたか。存じませんでした。申しわけありません。さっそく、ご視察の庁内調整をいたします」
秘書課長は納得顔で言うと、急いで退出しようとする。ようやく動き出すかもしれないが、奄美との個人的な関係を明らかにしたのは、少々まずかった。秘書課長に念を押す。
「個人的な事情なんぞは、他言しないでくれよ」