さよちゃんは私のことを「ゆかちゃん」と呼ぶ。いつだったか、まだ出会って間もない頃、自分の名前が嫌いだと言う私にさよちゃんが考えてくれた呼び名だ。今の歳になって考えても豊(ゆたか)なんて、男っぽい名前、女の子には……特にものごころつく頃の子供には嫌がられるだろう。私もそうだった。そのことを知ったさよちゃんは、さよちゃんだけは、私のことを「ゆたか」から「た」を抜いて「ゆかちゃん」と呼んでくれていた。女の子らしい名前を当時の私はとても気に入り、そんな呼び方を考えてくれたさよちゃんのことを、私は好きになった。さよちゃんに名前を呼ばれることが嬉しかった。

理由は他にもたくさんあるけれど、きっかけはたぶんそれだ。「なんでもない」私はさよちゃんのことが好きだった。いいや、今でも想っている。

空気を勢いよく貫いたクラクションの音が全身に突き刺さる。ベンチの上でびくりと身を震わせ、視線を惑わせると、駅の前に一台の車が停まっていた。その車から母が顔を出し、手を振っている。事前に頼んでいた迎えだ。

「おかえり、ゆたか」

軽自動車の後部座席に荷物を放り込み、助手席に座ると、母はまずそう声を掛けてきた。

「……うん、ただいま」

「ぼーっとしてたけど熱中症?大丈夫?疲れてない?」

「ちょっと仕事のこと考えてただけ……大丈夫だから、行って」

自分でも素っ気なさ過ぎたと自覚がある言葉に、母はあきれた顔で溜息を一つ、緩やかに車を発進させながら

「行って、なんて命令しちゃって」

と、ぶつくさ呟いている。広くない、荒れたコンクリートの道を、自動車は難なく進む。自転車ではこうはいかない。ひび割れや段差や落ちた枝葉にタイヤを取られて、がたがたと揺れてしまうだろう。急いで走ろうとすれば、なおさら。

「仕事のことって……なに。残業ばかりしてるの?」

「そういうことじゃなくて、いや……まあ、いいや、あとで話すよ。お昼ご飯ある?」

「昨日のカレーがあるよ。ああそうだ、夕飯まだ決めてないんだけど希望ある?ていうか、むこうでちゃんと食べてるの?あんた頭は良いけどいい加減なところあるからね、自炊くらいはやらなきゃだめよ?」

一つの言葉が倍以上になって返って来る。毎回のことだから覚悟はしていたが、帰省してすぐに質問攻めされるのは良い気分じゃない。定期的に電話もしているのに、過保護すぎると思う。女親だから? お母さんが特別そうなのだろうか? それとも、さよちゃんのことがあったから? 

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