七
中日頃、はじめて来訪者が、修作にあった。沢辺が近づいてきて、
「速水という人が、お前を訪ねてきた」
とそう耳うちした。
「ああ……」
「批評家の知り合いか?」
「いや、そうじゃない、ちょっと、以前に……」
「なんだ、批評家かと思ったよ」
「いやちがうんだ」
沢辺はかたすかしをくったように、仲間のほうへと歩いていった。その名前には覚えがあった。だが、見に来てくれてありがとう、との連絡を結局とらなかった。いやとれなかった。
速水さんとは、ひょんなことから、借家に帰らずに一月以上も共に速水さんのマンションで生活しながら、連絡先を控えることもしていなかった。
どこかでいつでも会える、あるいはそんなことの必要のない、つながりを速水さんとは持っていると思ってでもいるように、ありがとうなんて連絡をわざわざとらなくとも、通じあった関係性を信じていたのかもしれない。
いや、やはり生家のことで頭のなかはいっぱいで、旧交を温める余裕もなかったのが正しい。
いずれにしても、画廊に速水さんが来た、という事実だけを残して、二人は以後再会することはなかった。
人交わりの不得手な修作が生涯でただひとり、心を許した人だったのかもしれない。後にも先にも、他人格と時間を一緒に過ごして苦痛を感じず寝起きを毎日共にできたことが不思議でならない。