【前回の記事を読む】人生は「足し算」ではなく「引き算」で考えるとうまくいく理由

第1章 般若心経「(くう)」的生き方の智慧

承認欲求が暴走することの悲劇と対処法

般若心経の中の一説に

不生不滅(ふしょうふめつ) 不垢不浄(ふくふじょう) 不増不減(ふぞうふげん)

というくだりがあります。それは、

「生死にとらわれない、(きたない)(きれい) にとらわれない、多い少ないにとらわれない」

という意味ですが、それをさらに踏み込んで解説すると

「それぞれの現状を認めながらも、それにとらわれない。それぞれの事象に境界線を引かない。物事を二つに分ける相対的な考え方を超える」

です。人は満たされない心の空洞を埋めるため、たゆまぬ努力を重ねます。「私は特別」。執拗(しつよう)な“特別”アピールがそれです。その努力が実った場合はいいです。しかしアピールが空回りした場合、さらに自分を傷つけることになります。

それだけならまだしも、本当に問題なのは“自分特別”アピールが高じて、排他(自分以外の考え方を排除しようとする)の動きに転じた時です。そうなった時、「承認欲求の暴走」がはじまります。暴走は至るところに被害を及ぼします。たくさんの他人を巻き込みます。そして誰が一番割を食うか、犠牲者になるか。それは他ならぬ“自分”なのですね。

人との比較という入り口から自分を認めてもらおうとすると、必ず自分が悲しい結末を迎えることになります。
 
もし、「他人との比較によって満たされる」ことを信じていたとすれば、永遠に満たされることは無いでしょう。なぜなら比較の源はエゴ、怖れだから。怖れを無くしていかないことには一生満たされることはありません。仮に目標を達成し、一時満たされたとしても、また次の比較の対象が生まれる。

比較の対象にendはありません。まるで次々繰り出されてくる勧善懲悪のアニメの敵のように。対象が出てきた時点でまた苦しむことになるのです。