転機は突然にやってくる
7年続いたサムライ合宿が終わってからは、旅行でも変人ポーの教えは続いた。家族で行くときもあれば二人で行くときもある。タイ国内、あるいは日本を含む海外旅行もあって、これもほぼ毎月のようにどこかしらに出かけていた。
しかしながら、スクールも高学年になると良い加減ボクにも変人ポーの話には飽きがきていて、話し半分に聞き流すようになっていたことは否めない。なぜなら、変人ポーの教え、言わばその“哲学”は当時のボクには必要に迫られる内容のものではなかったし、単純に旅行を楽しみたかった。いろんなところに連れていってもらえるのはボクも嬉しかったけど、変人ポーの話なら家でも聞けるではないか、と思い始めていたのだ。
それなら、せめてゲームをやったり、動画サイトを見ていたほうが面白い。自分の興味のある分野をピンポイントで楽しく学習できる動画サイトのほうが、シンプルに勉強するツールとしても優れているではないか、と思っていた。
ボクは日系の幼稚園に通っていたものの、その後はずっとインター校だったので、ボクの日本語の基礎はほぼ変人ポーとの会話で培われてきたものだ。それは間違いないし、変人ポーとも以前のまま話はするけれど、これも一種の反抗期だからなのか、ボクの相づちや返事は何でも「うん」で済ませてしまうことが少しずつ増えていった。また、中学生の年齢になると友達と遊ぶ回数が一気に増えて、そうしていつの日か変人ポーの教えはなくなっていた。
そんなある日。
新しい友達と遊ぶ日々を送る、そんな楽しいスクール生活も真っ只中、その事件は突然起きた。あれは忘れもしない、タイ旧正月前の暑い時期の出来事だった。授業中、消しゴムをその日忘れたボクは隣の席のS君に借りた。S君とは友達だ。借りた消しゴムを返そうとしたときに、ボクは不意に消しゴムを落としてしまった。するとS君はまるで瞬間湯沸かし器のように怒りを爆発させた。
――それを、驚くほど冷静な目で見ているボク。そして変人ポーがいつか言っていた言葉が瞬時に頭をよぎった。
「感情をコントロールする者は人生を制す」
初めてだったのだ。変人ポーの教えが身に染みて身体で理解できたのは。この日のこの出来事は間違いなく自分の人生の転機となった。なぜならば、その日のうちにボクは変人ポーに初めて自分から教えを乞うのであった。