【前回の記事を読む】幼い子どもたちの愛国心…小学1年生の息子が国旗掲揚に反発したワケ

昭和二十年八月五日あとさき

(二)国家と国家(国際関係)

FSX(次期支援戦闘機)の開発は航空自衛隊の戦闘機を国内開発で新調するという防衛庁固有の事業でした。しかし、推移は省略しますがさまざまの経緯を経て、経済・技術・外交問題に発展し日米関係を揺るがせかねない政治案件になりました(昭和の終わり頃から平成にかけての数年間、新聞やテレビをにぎわせましたので、ご記憶の方も居られると思います)。

私は、この事業のそもそもから日米交渉を経て日米共同開発事業に変更される過程を技術の立場からその渦中で経験し、更に開発が始まってからはプロジェクト・マネージャーの立場にあって、両国間の技術移転やワークシェアといった新しい課題にも取り組みました。この間十数年にわたって両国のさまざまな立場の人たちとの交渉や議論の場を持ちました。

個々の事例説明は残念ながらいまだに差しさわりがあるので省略せざるを得ません。そのために話は飛躍してしまうのですが、こうした経験を通して思い知らされたことは、国と国の係わりについてパワーポリティックス、秘密条約(条約の秘密事項)、強者の正義といった従来から国際関係を律してきた行動原理が、依然として健在であることでした。

つまり、政治的・社会的価値観を共有するとされ永く同盟関係にある日米の間ですら、根っこのところでは、いまだこうしたかって両国を戦争に結びつけてしまった国際関係の構図を克服できてはいないのです。

人々の交流は進み、両国の相互理解は確かに深まっていると思います。しかし、国と国との関係では、当事者の個人的な思いとは異なり、国家の論理が激しくぶつかり合うことがあります。その緊張感は時として感情的な爆発を誘いがちですが、その重圧に耐える冷静さを支えるのは、覚悟のある純粋で真摯な平和への責任感ないし義務感なのだろうと思っています。

余談ながら、平和は静的受動的なものではなく、能動的に獲得するものだと思っています。その活動は、地味で世に顕れるものではなく勝利のもたらす歓喜を伴うようなものではありませんが、世代をつなぐ者が本来負うている使命ではないかと思っています。

キャンバス(ひとりごと)

昭和二十年八月五日、あの夜焼けてしまった描きかけのキャンバス。それ以降の私は、与えられた戦後という名の薄っぺらな代用品にはついに馴染めなかった。自省する人は敬いもするが、過去を否定する人は嫌いだ。私は、新しいキャンバスを手に入れようとして、ずっと自分ひとりで歩き続けてきたのではあるまいか。あの夜小学校三年生だった八歳の少年が、七十代の半ばに至って己の踏み跡を振り返った時の風景です。

下田水港(今治市大島) F-10 油彩(2016.07.)

(出典 『今治市の戦災 「あなたに伝えたい」第三集』 今治市の戦災を伝える会編 平成二十四年八月一日)


(注)『孫たちよ―わが心を知り給え―』秋山糸乃著 秋山謙一郎編(非売品) 平成六年一月一八日