一九七〇年 夏~秋
3 末はお医者か代議士に
「早う切ってくれるでかい。こないだもほうゆうたけんど。お宅がせんのんじゃったら、こっちにも考えがあるけん」
コマツが苦虫(にがむし)を噛み潰したような顔で言いました。この時、家には祖母と母しかいませんでした。何を言われてもへえへえ言うばかりの祖母に代わって、母が柿の木の下でコマツと対峙(たいじ)しました。
「おまはんの考えってどんな考えで」
「法律でどなんでもできるんぞ。賠償金を取ったってもええ」
コマツはすぐに弁護士だの訴訟だのを口にします。明らかに百姓屋の人間を侮(あなど)っていました。
「役所に勤めるぐらいで偉うなったもんじゃ」
松田家は畑は持っていても他人に貸しており、コマツが市役所に、四十になる独身の息子は大手自動車メーカーに勤めている、村では珍しい町人(ちょうにん)さんの家庭だったのです。
「こっちは当然の権利を主張しとるだけじゃ」
「柿の木くらいで大層(たいそう)なこっちゃ。今年はようけ実がついとるのに。おまはんくの庭に落ちたんは、拾うて食うてくれてもええんでよ。去年もほうしよったでないで」
母が負けじと言い返します。
「ほんな乞食(こじき)みたようなことせえへんわだ。おどれ、しょうもないことぬかっしょったらこらえんぞ」
「こらえなんだらどなんするんな」
両者とも一歩もあとに引きません。
「もうええ。こっちゃで好きにさしてもらうけん」
業(ごう)を煮(に)やしたコマツは自宅へ取って返し、剪定鋏(せんていばさみ)を片手に戻って来て、これ見よがしに伸びた枝を切りはじめました。母がその剣幕(けんまく)にたじろいでいると、そこへ自転車に乗った祖父が帰ってきます。一瞬で事態を察知した祖父は、自転車を放り出してコマツに食ってかかりました。
「わりゃあ、ひとんくの木いになんしくさんりょんじゃ。勝手なことしょうったらぶちまっそ」
言うよりも早く、コマツの片手を掴んで捩(ねじ)り上げます。その拍子に鋏の先が、祖父の頬を掠(かす)めました。
「痛いわ。手の骨が折れたでえか」
むしろコマツが大袈裟(おおげさ)に痛がって見せます。
「ほうか。見せてみい。どなんなったんな」
祖父は血を拭いもせず。奪い取った鋏を持って近付きました。
「なんな。やれるもんならやってみいや。警察が飛んできょうるわ」
腰の引けたコマツがそれでも強がります。祖父とは同じ尋常小学校の同窓生で、昔から馬が合わなかったようです。
「すっぺらこっぺらよう喋る舌じゃの。ぶち切っちゃろうかい」
血まみれの凄(すさ)まじい形相(ぎょうそう)で祖父がにじり寄ります。
「やめて。やめてっかい」
コマツの息子が飛んで来ました。祖父の血を見て狼狽(うろた)えた彼は、阿呆の一つ覚えみたいに「救急車」を繰り返すばかりでした。
「訴えちゃるけんな。手の骨が折れたけん」
「おう、いつでも来い。ぼてくりこかしちゃるけん」
二人は捨て台詞(ぜりふ)を吐き合って、やっとこさ離れました。