そんな状況も時の経過で治ってしまうから不思議である(与作の晩年の証言)。3等船室は船底に近いせいか床一枚で海に繋がっているような気分になったようだ。画家を志す与作は人一倍感受性が強かったせいか、「板一枚が海底の恐ろしい地獄」と表現したのは頼りにならぬものに命を預ける危うさと面白さを伝えたかったのであろう。
それにしても長い船旅である。横浜港を出発して1週間も経過したであろうか。気がついてみれば気候は真冬から温帯に変化していたらしい。乗船していた人々は衣装を変えるなど大忙し。気候の変化は人の性格をも明るくさせるようだ。
地に足がつかぬ不安は長い船旅をした者でなければ分からぬという。はやく下船しハワイの地を踏みしめたいと思う乗客の気持ちが伝わってくるようである。
生まれて初めて見る南国の島ハワイ。北国・富山県で生まれ育った与作の第一印象はどのようなものだったのだろう。乗船した幾百の人と甲板から眺めた光景は亜熱帯ならではの風景だったに違いない。
「風が違う。光が違う。匂いが違う。空も太陽も違って見えた」
とは晩年の与作の証言。そんな柔らかい光に包まれて見えた夢のようなハワイの島々。与作が五感を働かせながら辺りを見入っている姿が目に浮かぶ。
サンフランシスコに行く途中、燃料、食料等の補給に立ち寄るトランジット。ここハワイで、与作は1泊2日の観光見物をしている。船で知り合った友達とタクシーで旧所名跡を見てまわり、思ってもいなかったほどの日本食にありつけ喜んでいる様子が手にとるように伝わってくる。
与作にとっては初めての海外旅行である。見るもの聞くもの珍しいものばかりだが、その中でも当時のハワイ人(多くの人種)はどのようなルーツからきたものか、どんな生活をしているのかなど、民俗学的な興味を持ったようである。また常夏のハワイで見る日本人の着物姿にミスマッチの趣や、アロハシャツの文様や色彩にも日本的文化の影響を見出しているのも面白い。
常夏のハワイでは、ほんの少しの時しか過ごせなかった与作だが、土産話には事かかぬほどのものを持ち帰ってきたようである。当時のハワイは雨季に当たっていたようで、霧雨が降っては止み、また瑠璃色の青空がのぞく。そんなエキゾチックな天候の中、天洋丸はサンフランシスコに向けてホノルル港を出発。ここから目的地まで10日の船旅である。
「ずいぶん遠くまで来てしまったな」と思いつつ、先行き不安と目的達成のため身が引き締まるような気持ちになったに違いない。