【前回の記事を読む】開教師からの提案「日本人の移民がいる田舎に行かないか?」
西洋小舍の佛壇
本文
アメリカの土を踏むでまだ一二箇月も經ぬ或る日、西沿岸の市に全く珍らしい、コハルト睛れの午後であつた。それは、薄雲の灰色の空より、冷え冷えと行人の顔や手足を一面に重々しく感じさせる陰欝な、この地の梅雨期に相當する二月下旬の霧雨の頃であつた。
恁ふ云つた欝陶しい氣持の內に毎日太陽の光を吸ふたこともなく、一足戶外に出れば、全く肩摩轂撃の巷で幾千の自動車の瓦斯が胸苦しく、空虛な旅人を刺すようである、元來痩せ細い自分が、ますます神經過敏におち込むで眼が凹み、肩胛骨が洋服の上から現れ、軈ての果ては、この異國の土に黄色の皮膚を埋めねばならぬとまで覺悟してゐた。
この欝陶しい厭まはしい日頃の生活に、今日の靑々した澄み渡つた天氣は、まるで別世界に放り出されたような、寧ろ天界の奇蹟と自然の美とを不思議に考へた、今日は一日英語敎師の所と美術館行きを休むで郊外の靑い空の下を、あてどなく出駄羅目に歩こう、そして日頃の欝ふさぎを睛らそう、
……恁ふひとり言を云ひながら飛び出た自分は、二三丁も來たころにふと思ひついたように眞直の道を横にそれた。
三四丁も歩いたと思ふと、ある立派な石造建築の內に驅け込むだ、この家は日本の多くの移民に布敎する東本願寺の出張所で、丁度自分がこの地に渡る時に汽船の中で親しくなつた開敎師を衟伴れに誘ふたのである、ところが生懀氏はこれから近くにある日本人の田舍に布敎に行かぬばならぬ、
『若しも君の方が暇であつたら一所に來給へ、景色も宜し異國に勞働する日本の善男善女の深い信仰が譬た とひ君は神佛の信仰を持たないとしても興へられる事があろうと思ふから』
なんのこともない自分は、喜んで氏の同伴を直ちに同意した、一寸玆に讀者に御紹介しますが、この開敎師は普通一偏の生坊主でなく、極めて眞面目な殊に東西の思想を通じて、現在の宗敎をもつと積極的に革新しようと研究してゐる溫順敬虔な靑年紳士である、實際は墨染の法衣を着ぬが、モーニング、コートのポケツトの內には信仰を表徴する木實の珠數が絶えず入つてゐた、
そうして種々の話の後には、必らず沈默の餘韻の如く南無阿彌陀佛の暗誦がつゞくのである、之は最初氏に逢つた時は寧ろ不愉快な厭味を感じた、けれども氏の人格を多少知るようになつて、始めて其の南無阿彌陀佛の暗誦が無意識的に有難いような心持がした、そして其の暗誦每に、ひそかに氏の意志の力を表示してゐるきりツとした唇の上にあるものが微かに動いてゐた。