第三章 優しい祖母
恭一の父、貫一は、定年退職後は巨峰の専業農家として妻の澄子と一緒に巨峰やシャインマスカットを作っていた。
貫一の第一印象は紳士的だった。澄子は、思ったことをはっきり言うタイプで、また外出があまり好きではなく部屋に籠って墨絵を描いていることが多かった。二人とも周りにあまり気を使うタイプではなかった。
当時、地域全体が封建的な家ばかりではなかったが、池上家は代々タテ社会が続いていた。父親の言うことがすべて正しいと教えられ、恭一も姉の玲奈も、貫一の言うことがたとえ間違っていても言い返すことはできなかった。二人は、貫一の我儘を受け入れるしかなかった。その環境が貫一をますます我の強い性格にしてしまい、後に家族も苦労することになる。
澄子は五人兄弟の三番目。上の二人の姉は十三歳で養女に行ったので、身体の弱い母親に代わり弟と妹の面倒を見てきた。弟の良平とは四つ、妹の加奈子とは七つ離れていた。
澄子は、小さい頃から細かいことは気にせずチャキチャキと動く活発な子どもだった。親の勧めで見合いをし、二十三歳で池上家に嫁いだ。
最初の頃は、貫一の気の強さ、頑固さに戸惑ったという。そして、いつのまにか貫一の影響からか口調が強くなっていた。売りことばに買いことばで、時には貫一に対して言い返すこともあり、二人は一週間近く口を利かない日もざらだった。
貫一の父親も気が強く頑固な人だった。その妻の春代は家族思いで穏やかな人柄だ。
恭一は、優しい春代が大好きだった。
誰にでも優しい口調で語りかけ恭一の相談にものってくれた。春には庭の柏の葉を使って柏餅をお皿いっぱい作り、恭一が保育園から帰って来るのを待っていた。七夕の頃はまんじゅう、秋のお月見には山ほどのお団子がお盆にのせてあった。また焼き芋や大学芋がテーブルにのっていることも多かった。ホクホクの甘い焼き芋は恭一も玲奈も大好物だった。家族みんなの笑顔を思うと、春代はついたくさん作ってしまうそうだ。