プロポーズ

パパと出会ってから結婚までは二ヶ月ちょっと、かなりのスピード婚でした。

パパの叔母さんの家で初めて会った。あの日は十月の最後の日曜日でした。三十七歳を目前としていた私は、お見合いもし尽くして、もう結婚はどうでもいいと思い始めていた時で、叔母さんにパパを紹介したいと言われても、「もういいですよ」と断っていた。それでも「今日来るから来て」と強引に決めて会うことになった。

叔母さんの家で初めて会った時、緊張してる様子が伝わってきた。こちらは、お見合いのベテランで慣れたもので淡々と話した。初めて会ったのに話しやすかったこと、共通の友達がいたことなど、憶えています。自分の所得や貯金など、その場ですぐに教えてきたのには、かなりの衝撃を受けました。(何だ、これは!)と思った。

その日は、パパは、叔母さんの家に泊まり、私は家に帰りました。次に会う約束もなかったので取りあえずこれで終わり、と思っていた。翌日の夜電話があって「俺と結婚してください」と言ってきた。(ハァー……何だこれは?)かなりビックリした。

そこから年明けの一月十五日に結婚してしまった。嵐のような二ヶ月でしたね。かなりの年齢になっていたから、これくらいビックリしないと結婚までは、たどり着かなかったかも。

お互いに「早く結婚しなければ」みたいな焦りもあって「あっ」という間の結婚になった。結婚式もドタバタで波乱万丈の幕開けだったんだと今つくづく思う。

パパのプロポーズは「俺を幸せにして下さい」だった。結果、幸せにはしてあげられなかったかも。いまさらだけどプロポーズの返事はしないままでしたね。勢いだけで突き進んだ結婚でした。

二十年を振り返ると私は大事にしてもらったと思える。良いことも悪いことも色々あったけれど私の夢を叶えてくれたのはパパだった。二人の子供に恵まれて、ママになれた。自分で子育てしたいという一番の夢も叶えてくれて、子供のことを中心とした家庭になったと思う。パパの予想をはるかに上回っていたと思いますが……。

「愛してる」とか「大好き」とかたくさん言ってもらった、思っていても口に出さない男の人がほとんどだと思いますがパパは口に出して言ってくれた。「尚子ちゃんしかいない」「尚子ちゃんのために働いている」「子供は可愛いけれど一番は尚子ちゃんなんだよ」。もっと、たくさんあったかもしれない。心で思ってくれた分も考えたらかなりすごいね。

短い結婚生活でしたが密度の濃い時間だったと思いたい。今は、もう何も聞けない、答えてもらえない、パパも少しでも幸せだったと思えたことがあったならいいんだけどね。

将太の決心

パパが亡くなって二年くらいたっていたと思う。リビングで何かしていた時、将太が話し始めた。「僕ねー」と

「もしも、パパが病気で死にたくないのに、死んだとしたら、僕はもっと苦しくて悲しくて耐えられなかったかも」

「パパは死にたくて死んだんだよね、だから、僕は、これで良かったんだと思う」。

突然の将太からの言葉に何か決心みたいなものを感じたことを憶えています。長い時間をかけて、苦しい中から導き出した将太なりの答えだったんだろうか。胸が苦しくなった。傷ついた将太のハートが見えた気がした。どんなに悩み、苦しんだのだろうか……。私の眼には将太のハートから血が流れているのが見えた気がした。

(ねえパパ……あなたの大切な息子がこんなに傷付いて苦しんでいる姿を見てましたか? )もちろん、雄太も……。そして私も……。