【前回の記事を読む】郵便輸送のための護送人!? 知られざる「鉄道郵便局の歴史」
全逓と私の歴史
発展時代
経済成長期の鉄道郵便局
昭和三〇年代に入り経済の、高度成長を背景に郵便物数も飛躍的な伸びを示した。すなわち昭和三一年には、年間郵便引受物数が五二億通であったものが、毎年七%~九%の伸長を示し、同三九年には九〇億通に達した。また、鉄道郵便施設も、同四〇年には、一日走行キロが八万六千キロメートルとなり、輸送サービスの向上が図られた。
輸送方式の改変
昭和四一年一〇月より郵便物の航空機搭載の拡大、同四四年一一月東京~名古屋間の高速道路利用による専用自動車便の開設など、鉄道郵便の分野が次第に、縮小の方向をたどり始めた。
国鉄貨物輸送の撤退
国鉄は、同五八年七月経済再建の打開策として同五九年二月ダイヤ改正を機に、貨物輸送の大撤退を発表した。
鉄道郵便局の廃止
経済の高度成長、航空機のジェット化、大型化、全国道路網の整備、民間宅配会社との競合、国鉄民営化のきざしなどさまざまな客観情勢の変化のなかで、昭和六一年三月、五鉄道郵便局廃止、同一〇月、九鉄道郵便局廃止となり郵便輸送は全廃となった。明治五年以来実に、一一四年間人体に血液が流れるがごとく一分、一秒の停滞も許されない職場がその歴史的使命を果たし、終止符を打ったのである。創業以来鉄道郵便業務に携わった無名の労働者の数は知らない。時代の流れとは言え惜別の感にたえない。
以上、『全逓カメラ集団鉄道郵便失われた職場』より引用