【前回の記事を読む】一秒の停滞も許されない鉄道郵便局に終止符が打たれた瞬間とは
全逓と私の歴史
郵政民営化反対運動
二〇〇四年、小泉純一郎首相は「改革の本丸」として郵政民営化に取り組み始めました。全逓は民営化反対を訴え、取り組みました。
結局、二〇〇五年八月八日に郵政民営化法案は参議院で否決され廃案になったものの、衆議院が解散し、九月一一日の第四四回衆議院議員総選挙で、小泉氏率いる自由民主党が圧倒的議席を取って圧勝しました。郵政民営化法案は国会を通過、成立して郵政は民営化になりました。
同じ時期に「構造改革・規制緩和」政策も実施され、総務大臣も経験した竹中平蔵・パソナ(派遣会社)会長が政策を提言し、労働者の派遣規制が緩和され、派遣労働者・非正規労働者が一気に増えていきました。郵政も特に民営化後一気に非正規労働者が増えていきました。
私たちは、郵政の労使ともに民営化反対行動に取り組みました。「郵便局は独立採算制で郵便局の収益で運営され、国民の税金は使われていない」「従って、郵政を民営化しても財政上何も変わらない。バラ色の未来はない」と訴えました。私も当時は全逓鹿児島県地区本部執行委員だったので、街宣車に乗りマイクで民営化反対を訴えました。
年賀状の時間外販売を労基署へ告発
鹿児島中央郵便局では二〇〇八年一〇月から一二月の年賀状販売において、週休日や非番日の休みの日に営業し、年賀状の授受と、お金を収める人で列ができるのも当たり前になっていました。私は、勤務時間外の強制割り当て営業に疑問を抱いていました。これではいけないと労基署に複数の仲間と訴えました。
結果、一八一人に四五〇時間の休日出勤の割増賃金の未払い分の支給が決定しました。二〇〇九年四月の給料日に百万円以上の時間外(残業)手当が支給されました。内務職員は勤務時間中に予約や販売ができず、休日に営業活動をやらざるをえない状態になっていました。
また、ダメもとで社民党又市幹事長(当時)の参議院議員事務所に、郵政事業会社(当時)の営業のあり方、労基法違反の経過を郵便で送りました。秘書の方が営業の在り方、労基法違反は問題だと取り上げてくれて、又市幹事長が国会で追及してくれました。又市幹事長は、何回も郵政の営業問題を国会で追及してくれていました。
郵政の営業は、本社(旧郵政省)が営業割り当てを決め、何があろうとも必達(必ず達成)を求め、目標未達者を現場管理者がつるし上げるという、まさに自爆が当たり前の職場になっていました。当時、郵政の営業が「自爆営業」という言葉を生み出し、本になり販売されるほどでした。
在職中の二〇一九年時も、勤務時間外に予約を取り、勤務時間中現金出納機に入金して販売品を受け取り、勤務が終わってから持ち出し、お客様に現物を渡してお金をいただく仕組みで時間外・立替払い営業になっていました。