【前回の記事を読む】ハイデガーが「死の淵をさまよう恐ろしい体験」で得た思想とは

第1章 思想の流れ

本来的存在とは何かについてもう少し説明しましょう。この世に生を受けると、学校に行き、その後は当然のように仕事に就かなければなりません。この世の価値観を受け入れ、入学試験に失敗したとか、良い会社に入れたとかいろいろあるのが、生きるということです。そしてお金を稼ぐことも避けて通れないです。

こうして、競争に巻き込まれながら、老人になり、死が近づくまで続きます。これがこの世に生きるということです。この生き方は俗世間の価値観を受け入れないとなかなかうまくできません。ハイデガーはこれを非本来的存在と言いました。

そしてやがて病気や、事故、寿命などがあるために、死が近づいて来ます。その時この世で必死に生きて、積み上げてきたことが、死を前にしては無意味に見えます。お金を持ってあの世でうまくやっていくことはできないからです。死に際しては、役にたちません。ではどういうことをめざしていけば良いのでしょうか。

死という大きな壁に突き当たっているので、この世でいうような解決策はありません。死が近づくと人間はどうしようもなくなり、一人で死を引き受けなければならず、孤独に陥り、不安になります。今まで頼っていたお金やこの世の名誉、家族、友人などはこの時点で頼れなくなります。そして一人で死を引き受け、受け入れて死んでいかなければなりません。

今まで頼りにしていたこの世界は、意味を失くしてしまいます。解決策をいくら探しても、決して見つけることはできません。結局死は絶対的なもので、それを乗り越えることもできないので、死に逆らっても何も得ることはできません。結局死を受け入れるしかないのです。自分の存在の在り方を変えて死を受け入れるしかありません。自分が変わるしかないのです。

この時、解決策をあきらめてこの自分の死を不安の中で逃げずに受け入れることができれば、フリーソロに取り組むように、不思議なことが起こる可能性があります。歴史的には、そんな人が存在したことが知られています。

キリシタンが処刑される時、喜びに満たされて死んでいったという記録が残っています。また赤穂浪士が討ち入りから2ヶ月後に切腹させられますが、彼らも喜びに満たされて死出の旅に立ちました。同じ立場の人がそばにいれば、お互いに勇気づけられ、この新たな状況の中で実存変貌を遂げることができる可能性がより高まります。