汪が尋ねたが、宇垣は首を横に振った。

「いや、あれが解決しても同じような紛争が続けて起こったはずだ。当時、日中両国間の対立は深刻で、いずれは一戦交えねば済まぬところまで来ておったからな」

宇垣はそこで言葉を切って、姿勢を改めた。

「わしは、あんた方の言う歴史の改変に一枚加わることに、決してやぶさかではない。だがその場合は、発端を三月事件ではなく、十二年一月の大命降下による組閣成立からにしてもらいたいわけよ」

要望を受けた汪とボースは、再び部屋の片隅で協議に入った。しばらくの間話し合いが続き、ようやく二人が席に戻ると、汪が口を切った。

「閣下のお考えは、よくわかりました。しかし、発端を一九三一年から一九三七年へ六年間ずらすとなると、それなりの手続きや準備が必要です。それでこれから二十四時間の猶予を頂きたいのですが。いかがでしょうか?」

「つまり、明日またここへ集るわけだな。よろしい承知した」

「では、そのように取りはからいます」

宇垣の承諾で、この日の会合は一応幕を閉じることになった。そのとき、チャンドラ・ボースが声をかけた。

「私は日本国の史実に詳しくないので、お尋ねしたいと思います。それは一九三七年の宇垣内閣流産の件ですが、あのときなぜ陸軍当局が、陸軍大臣を出すのをあれほど頑強に拒否したのでしょうか?」

ボースの問いかけに、宇垣は大きくうなずいた。

「あんたの疑問はもっともだ。あの反対は、いまとなれば誤解だったというしかない。あの当時陸軍内部では、激しい派閥争いが続けられていた。その統制派と皇道派のうちで、皇道派がわしを目の(かたき)にして非難や中傷を続けていたわけだ。ところが、当の皇道派は前年の二・二六事件の失敗で、部内から一掃されてしまった。これまでの天敵が消滅して、やれよかったと思っていた矢先、志を同じくしていたはずの統制派から、あれほどの反発を受けようとは、まったく意外だったよ」

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