健診に本腰―人の行く裏に道あり華の山

広島県の健診は4~5社の棲み分けによって、全県下がカバーされていた。営業の3人を歩かせるうち最初は方向感がなかった彼らから耳寄りな情報が寄せられるようになった。

1、広島県の健診は4大業者で棲み分けとマッピングが出来上がっている。

2、これらの4社は半官半民的体質でむしろ官の体質が強い。

3、健診を行う会社に対し、何月、何日の何時にそちらに行きますから準備して待っているようにとの指示が入る。

4、会社は役所的態度に閉口している。忙しくても仕事を止めて待機しなければならない。

私はこれらの話を聞いた時、完全にカバーされた広島県でも新参者も十分に入り込める世界があると直感した。民間の発想でA社に対し、「いつお伺いいたしましょうかご都合をお聞かせください、従来よりも少し安い値段で可能です」と言えば参入するのに何のことはないと考えた。

建物もでき、スタッフもほぼ集まり、健診機器も揃え毎日予行演習を繰り返す日々が続いた。その頃には荒巻部長が頭角を現し他の2人の営業はいつのまにかいなくなり、新しく雇用した新戦力が徐々に力を付けてきていた。

健診を始めて、実際の現場はそんなに易しいものではないことは徐々にわかってきた。医療の延長線上ではない。全く新しい世界であった。既存組織の資料を集め、やり方を探り、自前のアイデアを加えながらの試行錯誤で一歩一歩体制を整えていった。

既存の4つの健診会社の厳しいガードにあい、安値で他社より良い仕事をしてお返しするやり方も、思うようには伸びなかった。しかし、ねばり強い頑張りとサービス精神で成績は徐々に伸び5~6年経ってようやく黒字化が見えてきた。このあと、健診の世界が大幅に変わることとなる。