二ノ二 手足の不調と私の判断ミス

母は、ずいぶん前に軽い肺炎になったことがありました。その後、影はほとんどなくなり元気になっていたのですが、肺に小さな古傷のようなものが残っているらしく依然として時々の小さな咳は続いていました。他人にうつるようなものではなく、薬で様子を見ていきましょう、とのことでした。また徐々に、軽いながらも肩こりや腰の痛みが出てくるようになりました。湿布を貼るなどの行為も目立つようになってきました。

あれだけ健康に気を使っていた母でしたが年齢を重ねるごとに様々な症状が出てきました。それでもまだ普段通りの生活と趣味も続けていて、人との交流もあり、自転車で走り回っていました。自分で自転車に乗り、行きたい所へ行くことができる、それは、母個人の生活の質を維持するために大切である、私はそう思っていました。

そのうち、母に、朝目覚めたとき、体が動かしづらく、特に手足は固まったように動きが悪くなっているという自覚症状が現れるようになってきました。母は以前、友人から形見に杖をいただいていました。いただいたときは、まだ早いのではないかと思っていました。でも家の中で杖をつく姿を見たときは、ほんの数日前に会った様子とのあまりの違いに、“人ってあっという間に体調が変わるものなんだ”と私は、びっくりしたのです。

昼前ごろからは、徐々に体も動かしやすくなるとのことでしたが、やはり病院で検査をしていただきました。数日後の検査結果は、関節リウマチとのことでした。リウマチの専門医にかかりました。先生は、「今は、いいお薬がありますからね」と、力強くおっしゃってくださいました。母は、それを聞いて安心していたようです。

母の母がリウマチだったといいます。昔は、痛い、痛いと言っていたのが、今は、医療の進歩で痛みも軽減されるようで良かったねと希望を持てたように話していました。リウマチの治療、はじめの頃の薬は、メトトレキサートでした。リウマチの第一選択薬の一つのようですが、服用法が変則的で付き添いしていた私も頭をひねりながら薬を仕分けしていました。それからステロイド薬や他のリウマチ薬に移行し、症状は、すぐに落ち着いていきました。杖は、あれば安心という程度になりました。

少し耳が聞き取りにくくなりはじめていたのと、説明を理解したいという思いもあり、母の病院へは、付き添うようにしていました。この頃は、たいてい母も私も各々が自転車に乗って行っていました。定期的に、肺炎での病院とリウマチの病院に行く以外は、普段通りの生活を続けていました。少し元気になると外出する母です。ある日、自転車に乗っていてスピードは出していないものの人を避けようとして転倒し、足首を挫いてしまったようです。

それを聞いた私は、「大丈夫? 気をつけてねー」と言いながら、まだ軽く受け流していました。数日後に肺炎で診ていただいている病院へ行く予約がありました。いつも自転車の圏内で行っている大きな病院です。このとき、私は、「どうするー 車で行くー?」と母に、聞いてしまいました。

母は、「自転車でいいよー、入り口までも近いし」「足もたいしたことないし」との返事でした。

大きな病院で車となると入り口まで遠く、自転車の方が便利かと安易に私もそう思ったのです。しかし病院の敷地内に入ったところ、ほんの少しの段差でバランスを崩した母は転倒してしまったのです。私もすぐ近くで自転車に乗り止まっていたので倒れていくのを、あっと思いながらも、どうすることもできず見ていただけでした。

どうして車で行くと私が決めなかったのか、後になって配慮がなかったと悔やみました。車でも一時的に玄関に寄せるなど方法はあったのです。

このとき、肺炎の症状は、横ばい状態、あわせて、先ほど、挫いた足も診てもらいました。骨折ではないようでしたが、数日の間に二回も自転車で転倒し、しかも同じ所を痛めてしまったのです。今度は、かなり腫れて痛みも強くなってきました。ひどい捻挫のようです。湿布や保冷剤も併せて包帯で巻くこともしました。なかなか腫れと痛みは引きませんでした。]

ほどなくしてリウマチの診察の日になりました。もちろん車です。先生からは、「骨折や捻挫のダメージがあるとリウマチも一時的に悪化する」と言われました。やはりそうなのか、だから腫れや痛みが早く引かなかったのだと思うと申し訳ない思いと後悔ばかりです。

今こうして手記を書いていると母は何度も自転車で転んでいたのにも気づきました。母も私も教訓がなかなかいかされていないようです。

母は手足の痛みも増し、胸の方も少し息苦しさも出てきたようです。血中酸素濃度も低く自分で酸素をうまく取り込めていないとのことです。そして入院することになりました。母の肺炎とリウマチは関連があるらしく、自分自身の免疫の異常によるものだろうとのことでした。転んだことからのリウマチの悪化、そして息苦しさの症状。元気の象徴のように思っていた自転車に乗ることを私が安易に見過ごしていたことが発端だと痛感しました。