論理的な思考よりも感情や情緒が優先
数学を勉強する事によって論理的な思考ができる様になると云われている。日本人は欧米諸国よりは中高生レベルでの数学の成績は良いので、この理論が正しければ、日本人は欧米人よりは論理的思考力があるハズである。だが現実は論理的な思考が不得意の様だ。
想像だが、日本人のDNAには倫理的な思考回路が欠けているのだろう。昔から日本人は、感情が優先されてきた様である。
例えば昔よくあったTVの時代劇で、“親の仇”と言って仇を打つ場合、お涙を頂戴して情に訴えた方が肩入れされるケースが多くあった。また現代では、例えば親族が交通事故や殺人で亡くなった場合、感情的な恨み辛みが長い間続く傾向にある。一方欧米では至ってクールな対応をしている様に見える。
また数年前、豊洲市場への移転に関して知事が「安全だが安心ではない」と言った事を聞き、卒倒してしまった。この豊洲市場のケースでは論理的に安全性を説明し、だから安心できる事を伝えているにも拘わらず、それらを一切無視して感情論のみを前面に押し出してきた。
感情面で訴えてくる人を納得させる様な話術は必要ではあるが、この豊洲市場のケースでは、本来市民を説得する側のハズの知事が感情論を振りかざして反対し、しかも自分の権力を見せ付けるためのパフォーマンス的な思惑も見え隠れするので始末に負えない。
その後、どうもこの「安全と安心」がはやり言葉になったのか、今回の東京五輪でも、首相が「安心安全な五輪の開催」等と言っている。困った事である。社会にはこの様な論理的思考ができない人もいる事は仕方のない事ではあるが、その割合が増え過ぎると社会に混乱を起こしてしまう。