「村山先生、大変です。うちの事務員がこの三月末で結婚退職することになったんです。至急募集したいのですが、私は新卒が良いと思っています。急を要することなので、何とかなりませんか?」

「よっしゃ、わかった。地元の商業高校の就職担当の先生に頼んでみる」

「よろしくお願いします」

国田は新事務員を教育して、雑収入会計のすべてを手中に納めることを企もうとしているのであった。数日後に商業高校から求人案内が届き、国田はその求人票を尾因市医師会の事務長に手渡し、給与や就労時間などの記入を依頼した。

事務長には「私が高校の進路担当教員に至急届けます」と言って、返信用封筒は国田が保管していた。

国田は高校新卒の給与を把握しておきたかったのである。これも、国田のお金に拘る性格かもしれないが、上司としては当然のことである。その後、商業高校から国田に求職者の履歴書が届いたので、面接を国田を含めて村山と久船の三人ですることになった。これは村山の指示によるものであった。

後日このことを村山から知った久船にとっては、このようなことは自分に最初に相談すべきことであったはずなのに、国田から最初に連絡がなかったことに対して非常に立腹した。久船は副学校長としての存在感がないことにも気付いたのである。

国田は自分が学校運営の指揮官であり、プロ野球で言えば現場監督であると思っている。副学校長の久船のことはフロントの窓口職員か、もしくは用務員ぐらいにしか考えていない。畜生め、面接日の調整なんか俺はするもんかと国田に対して反感を持っていたところ、数日後に国田から電話があった。

「学校事務員から今年三月三十一日で結婚のため退職の申し出がありましたので、村山学校長に連絡して、地元の商業高校に求人を依頼してもらいました。いずれ、面接をしなければならないので、よろしくお願いします」

「そのことは村山学校長から電話で聴いております。履歴書が届いているならば、面接の日時について相談することにしましょう」

久船は電話では冷静に対応した。一方、村山には商業高校の就職担当者から、「推薦した生徒は就職はしない予定で、家事手伝いをすると言っていた者ですが、先月になってから急に就職したいとのことで、渡りに舟で良かった。成績は中の上ぐらいで、名前は大本(おおもと)節子(せつこ)といいます」と連絡があった。

村山は学校事務員はこの程度で良いと思い安心した。届いた履歴書と成績証明書を見た国田は各教科の半分が成績評価四で残り半分が三であったのを見て、面接で素直な生徒であれば採用しようと考えていた。

面接の日時調整は国田主導で進められ、国田が村山と久船の診療時間を外した昼休憩時間を提案したので二人は同意した。

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