綾子さんはどこに?
島洋子が、北村大輔の家に引っ越しの挨拶に来た約二時間後に、中原純子が病院に運び込まれていたことは、心に引っ掛かる出来事だった。彼は島洋子が、事件当日の午後七時過ぎに、北村大輔と両親の住む家を訪ねて来ていたことを知っていた。
そのことは自殺した当日の島洋二郎の様子を、母親に尋ねた際に一緒に聞いていた。北村大輔は、洋子伯母さんが引っ越しの挨拶に来たのはいつだったのかと、さりげなく尋ねていたのだ。彼は、純子叔母さんの事件が起こった日に、来なかったかという言い方は避けていた。母を傷付けたくなかったからだ。
直接的な表現をすれば、高倉豊から島洋子への疑念を突き付けられたときの、自分の二の舞になってしまう。ただし高倉豊のやり方が、間違っていた訳ではない。警察官同士だから許されるということを、分かっていて彼は言ったのである。そのことは北村大輔も、よく理解していた。
島洋子は直ぐに帰ったと母は言っていたが、その前後に中原家にも挨拶に行ったことは十分に考えられる。そのときに事件は起こったのかも知れない。ただし、高倉豊が言っていたように物的証拠はなく、たとえ追及したところで、幾らでも言い逃れることは出来るだろう。
それとも赤穂で七月に起きた、市職員が妻を殺したときのように、取り調べ開始から十五分後には、全面自供などということも有り得るのだろうか。突破口があるとすれば、島洋二郎が自殺衝動に駆られた、真相の究明をすることにあると北村大輔は考えていた。