【前回の記事を読む】感動!タクシー運転手の父が「二階建ての家」を買った理由
生い立ち
大学へは現役で入学することと、奨学金を支給してもらい、社会人になって自分で返済することが条件でした。私も一人娘には現役入学と奨学金支給を条件に大学に行かせました。
昔と今では違うかもしれませんが、今の私でも一人の娘を大学に行かせるのは大変。中学卒業の漁師からトラック配送、タクシー運転手そして個人タクシーをし、母親と共に子供三人を育てたんだから偉いと思います。
丁度、函館の観光ブームにも乗り大手航空会社と提携した観光事業も当たりタクシー観光の一番良い時代ではなかったでしょうか。タクシーでの道内観光ですから、その当時父親はほとんど家には居なかったように思います。母親が家で会計と配車も担当し、良き時代を夫婦仲良く過ごしていたように思います。そして母親は家の仕事もまめにやり、料理だけでなく裁縫、活花、工芸、ペン習字と何をやっても器用でした。
今居酒屋をやって思うことは子供の頃から母親の手作り料理で本物の味を覚えたことが大きかったと思います。その本物の味とは決して高級食材とかではなく、いつも安く簡単に手に入る食材を使った料理、いわゆるおふくろの味です。
野菜とかその日に水揚げされたイカ(その当時、函館はイカの漁獲量が多く安いので毎日のように食卓にのっていました)等の魚介類をその食材の味を生かし簡単に調理したり、味付けをした料理のことです。
その当時ホウレンソウは漫画の『ポパイ』(毎回『ポパイ』がホウレンソウをモリモリ食べる場面があり、その後強くなった! だからホウレンソウを沢山食べよう?)の影響? もあり、毎日のように食卓に。そしてこれまたイカも毎朝家の前をリヤカーでイカ販売が通るので母親は毎朝リヤカーのおばちゃんとあれやこれやと会話をしながら新鮮なイカを購入していました。
朝の食卓はホウレンソウのお浸しとイカの刺身(朝からイカ刺!)が多かったように思います。イカのない時は鯨ベーコンで朝の食卓に肉料理は記憶にはありません。毎朝のホウレンソウは『ポパイ』のように元気になるようにとの親心、愛情があったからではないでしょうか。