止まない批判
時代が昭和に移っても、学校英語教育への批判は止むことがありませんでした。それどころか、さらなるセンセーションが巻き起こります。
講談社発行の大衆雑誌『現代』の昭和2年(1927)5月号には、東京帝大国文科の教授藤村作つくる(1875-1953)による「英語科廃止の急務」と題する爆弾的論文が発表されて、一大センセーションを巻き起こした。〈中略〉藤村は、日本人が日常生活まで外国を模倣するのを非難し、教育制度における外国語の過重な負担を指摘し、外国語が国民生活に必要というのは疑わしい。中等学校の英語科、専門学校の外国語などは廃止して、大学の予備校(つまり旧制の高等学校)あたりで習得させればよい、と主張した。そして外国語を廃止するとともに、国家による大翻訳局の新設を提唱した。(『日本の英語教育200年』伊村元道著/大修館書店)
2003年これに対し、英語は教科として存続させるべきだという立場をとる存置論者が教育的価値を主張して反論したため、激しい論争が繰り広げられることになりました。