しおちゃんが亡くなった日

もやもや病とは脳の中にある主要な血管が細くなっていく原因不明の病気。細くなり栄養を運べなくなった血管達がそれを補うために新しい血管を無数に形成するのだがそれも充分に血液を届けることができない未熟な血管のため画像で見るともやもやとした集合体として写りこの病名がついた。

本幹の血管が切れたり詰まればもちろん脳がダメージを受けて障害が出る。現にずずさんにも五年前から半盲といって右にあるものが脳内で認識できないこと。さらに文字が認識しにくくなる失読の障害があった。

抗がん剤を使用すれば副作用による脱水、嘔吐などから血圧の変動が大きくなり脳梗塞になるリスクが高まる。

また、もやもや病の患者への投与の前例が圧倒的に少ないためエビデンスもないのが主治医もずずさんも家族も躊躇する要因となっていた。それでも投与することで少しでも寿命が伸びるのであればと考えを改めてほしいというのがこっちの勝手な思いだとしても伝えずにはいられなかった。それに対する結論はやはり簡単には出ず数日後の診察の際に主治医にもう一度詳細を聞いてみるねと言うところで一旦終えた。

「あのさ、ソウアイはどうするの?」

姉が帰宅し、がちゃさんがかぁくんを寝かしつけに部屋を出ていくとずずさんと二人きりになった。

「コロナの影響で去年の夏から仕事はないからね。元々今年で閉める話もあったし、これで踏ん切りがついたかな」

「もう何年になるっけ?」

「あんたが中学二年の時に始めたから……二十三年か」

「すごっ。よくやったね」

「本当。右も左も分からないところから優さんと二人でね。あんたと珠ちゃんにもよく手伝ってもらったね」

「俺のツレも皆年末年始はよくバイトしてたよね」

「そうそう。中には接客がひどくて帰される子もいたね」

懐かしい話に二人で笑い合う。ずずさんが三十九歳の時に優さんと設立した人材派遣業ソウアイスタッフ。いわゆるマネキン派遣業だ。スーパーで試食販売をするおばちゃんを思い浮かべてもらえたらいい。それがマネキンだ。

右も左も分からず始めたことが功を奏しソウアイスタッフが育成したマネキン達は停滞気味の業界内に新しい風を吹き込んだ。次々と大手メーカーと契約して会社は順調に成長し続けた。その存在は後のずずさんの人生を大きく変えていくことなるのだが創設に至るまでには僕が小学生になった頃まで遡る必要がある。

戸籍上の父を失った僕にはありがたいことに育ての父が二人いる。

一人は僕らを受け入れてくれた祖父。そしてもう一人がソウアイスタッフをずずさんと設立した優さん。この二人のおかげで僕は父がいないという環境をハンディキャップと思わずにやってこれた。眠れない日々のせいでやつれてしまったずずさんの笑顔の向こうに見える二人の背中を思い浮かべた。