モロッコに帰ってからフエット(お祭り)の為、集まった人達で街はとても賑やかです。外国からのお客さまをお迎えして、お祝いのパーティーがありました。こちらに来てからパーティーが多いですが、イスラムなので女性と男性の部屋は別々です。
3日後のご挨拶の時、「まさえ、どうして今日はゴルフに来なかったのか。マダム大屋(帝人)が会いたいと言っているからホテルに行きなさい」と言われ、初めてあの有名な大屋政子さん(帝人の社長夫人でテレビタレントとして活躍していらっしゃいました)とお会いし、3時間一緒に過ごしました。可愛らしい女性でした。
ラバトへ戻る移動の途中セッタの王様の家でランチ。
「まさえ、娘はいつ来るのか?」
Jaidy氏が、
「休みが1週間しかないので、ダメだと言われたそうです」
と答えました。すると、
「私がJaidyに電話をして娘をこちらに来させる」
とおっしゃって、次の日には娘がこちらに到着しました。なんて速いのでしょう、王様の力って凄い。ラバトに戻り、ホテル住まいから家に移りなさい、と王様から家のキーを渡されました。
「静かでとても良い所ですよ、嫌だったらいつでも言いなさい」
と高級住宅街のマンションをいただきました。でもどうしても気に入らず、私の住みたいマンションがあったので、そこに住みたいとお願いして変えていただきました。
国一番のお金持ちと、王様の亡き弟さんがオーナーの、14階の2LDKの部屋に移りました。日本でいえば、銀座・和光の場所だと言えばわかりやすいと思います。
平岡大使から、
「日本だと100万はするぞ。いったいあなたのマッサージは幾らするのだ」
と言われました。でも私のお給料が1人のフィリピン人と一緒だったので、
「日本と物価が違うのに不公平じゃない?」
と大使に相談すると、
「そうだね、王様に言うべきだ」
と言って下さいました。夏美夫人に正しい英語を教えてもらい、勇気を出して王様に直接談判。
「日本の家のローンがあり、娘の教育費などで今のお給料では苦しいので、少し上げていただけないでしょうか?」
「そうか、それでは100ドル上げてあげよう、でも2人だけの秘密だよ」
とおっしゃって、快く引き受けて下さいました。
その事を大使に報告すると、
「まさえさんの英語でよく通じたな」
「つたない英語だからいいのよ、流暢な英語じゃ可愛げがないでしょ、もし大使が外国人から辿々しい日本語で頼まれたら可愛いでしょ」
「そうかもしれないなー」
こんなやり取りがありました。