【前回の記事を読む】母が「モロッコ国王のマッサージ師」となった娘…ラマダンの夜に思わず大声で叫んだワケ


私の記録【1992年6月】

なんだかんだ毎日忙しくしていたら、あっという間に高校を卒業する時期になっていました。

海外の学校は、日本の学校と違い卒業するのが大変で、授業態度、提出物、宿題、発言、プロジェクトへの参加、日々の小テスト、そして卒業テストの全てを精査されます。卒業テストは、徹夜で勉強して受けに行きました。人生で、モロッコでの2年半ほど勉強した日々はありません。私にとって、今までにない達成感があり、今でも私の自信と誇りになっています。

大学の進路は、母はアメリカの大学を目指すべきであると考え、私は日本の大学へ進学したいと考えていましたが、私が日本の大学に受かったので、結果として母が折れることになりました。

卒業式を終え、母と2人で王様に報告に行くと、日本人として初の卒業生だったという事もあり、とても喜んで下さいました。そして、「何かお祝いをしたいから、何が良いか考えなさい」と言われました。

母と2人で色々考えて、出した答えは、飛行機のファーストクラスに乗せてもらう事でした。

ダメ元という気持ちでお願いすると、王様は笑顔で、「分かった、いいよ!」とおっしゃって下さったので、とても驚きました。

私がモロッコでの2年半の生活を終えた時、母は休暇をもらいました。

私はこれが最後の王様へのご挨拶の時、航空券をプレゼントしていただきました。約束していただいた通り、それはファーストクラスのチケットでした。

最後に王様からお言葉をいただきました。

「日本へ行っても、モロッコを忘れないで。何かあれば、あなたのお母さんも私もいるから、心配しないで。元気で暮らすんだよ」と。

この時、最初で最後という気持ちで王様にすがりついて泣きたかったのですが、さすがに周りの目があり行動に移す事はできませんでした。

それから12年と5ヶ月の月日が経ちました。

母の日記より【1991年】

この年のバカンスは、旧知の平岡大使がポルトガル大使になったので、娘とポルトガルに訪問してから日本に帰国しました。

11月13日、三女であられるプリンセスの婚約式が行われました。

プリンセスが正装をして出ていらしたのを見て、私は涙が出ました。プリンセスの母親のような気持ちになっていたのです。

王様におめでとうのご挨拶をすると、「まさえの娘もすぐですよ」と言って本当にニコニコして下さいました。

その笑顔が深く心に残っています。