【前回の記事を読む】「挨拶をする時はハビビンシディーと言うのよ」王妃の一人に教わった言葉の意味に驚愕

母の日記より【1987年7月モロッコの日々】

6ヶ月経った頃、現在通っている学校には日本人や韓国人が多く、あまり英語の勉強にならない。モロッコなら日本人も少ないのでそちらに行きたい、と娘から連絡がありました。

王様にお話しすると、次の日Jaidy大使から、

「まさえ、これは娘さんのチケットと2日後のチケット」

見せられてビックリ! 急いで娘に電話をして事情を話しましたが、あまりの速さに娘もビックリ。それこそ慌てて学校やホームステイ宅の方々に話をし、てんてこ舞いしながら許可をいただいたそうです。全てを英語で話したのでしょうから随分英語力が上達したものだと感心したものです。

こちらに来てから6ヶ月。たくさんいるフィリピン人はとても陽気で明るく、よくパーティーを開き、「まさえもフィリピン人だから」と必ず招待してくれました。

当時、前フィリピン大統領のマルコス御夫妻はハワイに住んでいましたが、お嬢さんのエイミー御夫妻が、王様のご好意によりモロッコに住んでいました。ある日お宅でパーティー。ある時、是非、私に日本料理を作って欲しいと招待されました。少し知っているタガログでお話ししたら、途中から分からなくなり、

「私日本人ですけど」

と言いましたら、

「えーフィリピン人だと思って話していた」

とビックリされました。ほんの少しだけ話しただけなのになんだかちょっと嬉しかった。

大勢の方達がリビングで楽しんでいる間、私はお料理の為にキッチンに入りビックリ。日本の調味料が全部そろっているのです。

我々日本人は食材をイギリスまで買い出しに行かなくてはならないのに、さすがにマルコスのお嬢様。

その時は天ぷらを作って欲しいと頼まれましたので作りましたが、揚げるそばから、

「美味しい、美味しい」

と言って御夫妻で食べてしまいました。皆様には届かなかったので、後で、

「まさえ、日本料理は何も出なかったけどどうしたの?」

と言われてしまいました。

「ごめんなさい、みんなキッチンで食べてしまいました」

とお話ししました。でも皆さん元大統領のお嬢さん、何も文句はおっしゃいませんでした。

フィリピンの方達とそして平岡大使御夫妻のご好意で、ホームシックにもかからず楽しい6ヶ月が過ぎました。

クリスマスには王様から金の時計をプレゼントしていただきました。この時計はイメルダ夫人が王様の為にオーダーで作らせた世界に10個しかない物の1つです。

この年最後のニューイヤーズイブのパーティーホテルは、パレス関係者家族でいっぱい。外は雪が降り銀世界。私は黒のドレスで出席したのですが、皆がシキシキ(アラビア語で綺麗、素敵)と褒めて下さいました。モロッコのドレスはカラフルな物ばかりなので黒が目立ったのでしょう。