1988年。昨年末からモロッコのスイスと言われている、イフランの宮殿で過ごしています。この国に雪が降る地域があるとは思いませんでした。新年には王様特注の香水をいただき、楽しい1年が始まる予定でしたが、私達にとってはとても悲しい出来事がありました。

私のモロッコ行きが決まってから色々心配し、そして誰よりも喜んでくれた兄が亡くなったのです。私の離婚後、仕事上患者さんと一緒に温泉療法の為留守をする事が多く、その都度兄の家族が由紀子の面倒をみてくれ娘も父親のように慕っていたのに、娘がモロッコに来る事は知らせてあったのですが、その後のニューヨーク行きの手紙を出したのが亡くなった2日後に着いたので、読む事なく天国に行ってしまいました。

まさかこんなに早く亡くなるとは。朝、日本からの電話を受け大泣きした後、王様とのご挨拶でしたので泣き明かした顔を見て、

「まさえ、どうした何かあったのか?」

と聞いて下さいました。事情を話すと、

「すぐに帰りなさい」

とおっしゃって次の日にチケットとお小遣いを用意して下さいました。1年に一度の休憩を待たずに日本に帰国しました。

日本から帰ると、すぐに娘がマラケシュに到着しました。

チャーター機から、タラップを降りてきたのにはビックリ。Jaidy氏から「皆には内緒だよ」と念を押されました。王様が特別に配慮して下さったのでしょう。

すぐにアメリカンスクールに娘を連れて面接に行きましたら、校長先生から

「ラバトのアメリカンスクールは世界中のアメリカンスクールの中で一番むずかしいのでまだ英語力がたりないから入学は無理だ」

と、断られました。

その事を王様にお伝えすると

「それでは、アメリカに行って英語の勉強をしていらっしゃい」

とおっしゃって下さいました。

私は、娘がどう返事をするか、どきどきしていました。

と言うのも、同僚の娘さんが、モロッコで働きたいと王様にお願いしたところ、

「宮殿のオフィスで働くために、フランスへ行ってフランス語の勉強をして来なさい」

と言われたのを断ったら、国に帰されてしまったと聞いていたからです。

娘が断ったら、日本へ帰されてしまうかもしれないと思い、心配しましたが、

「ハイ、行きます」

と娘が即答したのには、ビックリしたとともに、安心致しました。

その後娘はJaidy氏宅にホームステイする事になり、ニューヨークへ出発しました。

また娘と離ればなれになってしまいましたが、王様のご配慮で、春、夏、冬と休みのたびに娘はモロッコに帰ってきて、私と一緒に過ごす事ができました。