第二章 仮説社会で生きる欧米人
論文を書くコツ
第14回の記事で、本質を掴む思考法を図を交えてアレ、コレと説明しましたが、本稿では本質と仮説を中心にして、論文を書くコツをお話ししてみたいと思います。私は二十余りの職を転々とした後、三十代の前半に不動産鑑定士になって仕事を始め、その後は充実した生活を送ったことを度々説明しています。
昭和五十年代の当時の日本社会は、「土地本位制」が定着していた時代です。銀行は企業の融資に土地担保を要請しておき乍ら、不動産価格の評価額は銀行により色々ばらつきがありました。国や地方の公共団体はインフラ整備に邁進しており、国民はマイホームに熱い思いを込めていました。
だが、不動産は金額が張るもので、その分トラブルの元となります。そのような時代を反映したのか、私は裁判所からの鑑定の依頼が多くなっていました。
鑑定士になって間もなく、裁判所から鑑定委員の要請があり、私は鑑定委員と調停委員を三十年以上に亘り拝命しました。その最中、私は最高裁出版局に「調停の成立と価格の均衡論」というタイトルで論文を提出しています。
論文の内容は、民事調停法第一条に記されている「調停の目的」とアダム・スミスの株式市場における「価格の均衡論」を結びつけたものです。論文は何の脈絡もないはずの法律(調停の目的)と経済(欲動の場である株式市場)に仮説を入れ込み、ドッキングさせて演繹法で書き上げたものです。
最高裁出版局に提出した論文は運よく事が運び、調停時報(二〇一二年三月号)の「視点・論点」というコーナーに掲載されました。(このコーナーは高等裁判所の判事が主に執筆を担当していましたが、私の提出した小論文は疎い内容のものです。それが同じコーナーで掲載され、それを目にした私は嬉しい。反面、申し訳ない気持ちになったことをよく覚えています。)
私は論文を書くのが好きだったことから、経済紙や専門誌に論文を投稿していましたが、よく掲載もされていました。その経験から論文を書くコツをお話してみますと、論文は「本質に近い仮説を立て説明する」に尽きると思います。
本質に近い仮説を得ることが出来ると、論文は七〇~八〇%は仕上がったも同然で、後は現象を抽拾(採り入れ、棄て)、推論を入れ込み結論を出すだけになります。仮説を立て結論を得る思考法は、演繹法の思考となります。演繹法は小さな知識の連続でなく、仮説に多少の間、推量を入れ込んで結論を出す法です。
論文に仮説と推量が必要だとする私の説に、眉をひそめる方もいると思いますが、本質に近い仮説を得ることが出来ると、話しがスムーズに展開し、「成程」と人々に受け入れられるものです。
最高裁に提出した論文は、調停の目的とアダムスミスが主張する市場価格論を基に作成していますが、二つを直接結びつけたのでは話が長くなり、かえって分かり難くなるものです。そこで、私は調停と株式市場の原則を仮説化してこれを分かり易く類型化し、二つをドッキングさせて論文を完成させました。(本質に近い仮説を得る法は殊の外難しいものですが、第14回の記事の図3で記述していますのでご参照して下さい。)
欧米人の思考法なんぞ知らなくとも、「日本人はやっていける」と多くの人が考えていると思います。それも良いでしょう。しかし、本質を前提に仮説を入れ込む欧米人の思考法を理解し応用すれば、自由に論理の展開が可能となり、話すことや、書くことが楽しみになります。演繹法に依る論理を味方にし、思考の巾を広げ、アレコレ考え、人生を楽しむことをお勧めします。