綾子さんはどこに?
俺は放心状態のままふらふらと仏壇に近付き、正座して線香を上げた。
「彼女はいつ?」
俺はそれだけ言うのがやっとだった。
「六月に。最後はもうぼろぼろだった」倉沢綾子のお姉さんの声は震えていた。「島君への手紙は、途中から私が代筆していたの。最初は綾が自分で書いていたけど、文字が震えるようになってからは、ワープロを買って、その練習も兼ねてということにして、綾が話す出来事を書き留めて、私があなたのお母さんに送ったわ。
だからお母さんは何も知らなかったはずよ。言わないでって……綾が頼んだから。綾はあなたの力になりたかったの。この手紙は……もし私が死んだら島君に渡して欲しいって。拒絶反応で苦しくて、助けてって泣き叫んでいるときに書いたのよ。綾の気持ちを大切にして、綾の分まで生きてあげて」
お姉さんは、涙で言葉をつかえさせながら、話し終えた。
倉沢綾子が病院で苦しんでいる間、俺は少年院に居て、しかも出院後に行う犯罪計画まで立てていた。俺は一体何をやっていたんだろう。本来なら、俺が彼女のそばに居て、力になってあげなければならなかったのに。そう思うと涙が一気に溢れた。俺は正座したまま、肩を震わせて泣き続けた。
この小説は島洋二郎が生前、大学ノートに書き残していたものを、島洋子がワープロ原稿にして、世間的にはあまり知られていない出版社に送り、昨年(二〇〇四年)刊行された。ちなみに小説のタイトルは、島洋子が綾子から綾を抜き出して付けたそうだ。
発売当初から異例の売上げを記録していたのだが、今年(二〇〇五年)の一月に大手の新聞社が書評欄で取り上げたことがきっかけとなって、より大きな反響を巻き起こした。
北村大輔の場合、綾というタイトルのこの小説を読んだのは、世間で話題になるよりも前に、二〇〇四年の八月に執り行われた島英一と洋二郎の十七回忌に出席したときに、島洋子からもらったものを読んでいた。
島洋子は、二人の法要を営むのは今回を最後と考えていて、その記念に出版することを思い立ったのだと言っていた。