【前回の記事を読む】周囲に吞まれていく子供の「心の育ち」…親が正しく導くには?
思春期の森
ところで、「思春期」と「青年期」という言葉の意味には違いがあります。「思春期」は身体の発達を表す時期で、「青年期」は心の発達を示す時期といわれています。始まりは「思春期」と「青年期」のどちらも同じで、「性の成熟」と関係します。
生殖腺の発達を促すホルモンが出ることによって、第二次性徴が発現します。男の子は"射精"であり、女の子は"初潮"がこの時期の始まりということになります。年齢ではなく個人差があります。
終わりはどうでしょうか。「思春期」の終わりは、身体の成長が止まるときといわれます。つまり、身長が伸びなくなる時期までとなります。昔に比べ、思春期の始まりは早くなり、終わりは遅くなっているという報告があります。
思春期の始まりが早くなった一つの要素として栄養状態が関係しているのではないかといわれます。英国で行われた「思春期」に関する年齢の調査では、10歳から24歳までが「思春期」という報告(2018年)がありました。
一方、「青年期」の終わりは、「おとな」になるまでということになります。年齢ではありません。つまり法律上の年齢による「成人」ではありません。青年期を卒業して成人期になりますが、精神的に「おとな」になるとはどうなることなのでしょうか。心の成長はどのようにして判断するのでしょうか。
心の発達にはその時期によって発達課題がいくつもあります。その課題を達成すると次の発達段階に進むという考え方です。少しだけ紹介します。子どもはほしいものがあったとすると「今すぐほしい!」わけですが、おとなになると「貯金が貯まるまで待つことができる」ということになります。子どもは「全部ほしい!」わけですが、おとなになると「みんなで分けよう」となったりします。おとなになると「欲求充足遅延(待つことができる)」や「状況によって妥協や我慢ができる」というふうに変わります。このあたりの話はあとで出てくると思います。
もし、心の発達課題を達成しなければ、30歳、40歳、50歳、60歳になっても「おとな」になれないことになります。一方、おとなになって「子どもの心」や「思春期の心」に一時的に戻る(退行する)ことはめずらしくありません。しかし、そのまま「おとなの心」に戻れないと問題になります。「いくつになっても子どものような心」であることはあっても、「いくつになっても子どものまま」だと問題になるでしょう。