海と山の輝きを後世に(2013年3月)

今年も昨年の冬と同じくらい積雪が多く、3月末とはいえまだまだ春の訪れを感じづらい日が続いている。我が農園の春耕作業はまたしても鈍足スタートとなりそうなのだが、黙って指をくわえながら残雪を眺めていては愚農のレッテルを貼られてしまうので、少しずつ農作業の準備をやりだした今日この頃である。

朝4時半頃に市街地のアパートをでて、国道5号線を南下し、わらび野の農園へと車を走らせる。真冬に比べればいくらか日が長くなったとはいえ、この時間はまだ暗い。

でも、この時期の早朝の内浦湾はとても明るい。無数の光の点が湾上にきらめき、まるで海の上に大都会が突如現れたかのような美しさだ。そう。その光の正体は漁船の灯りである。ホタテの耳吊りが始まり、八雲の浜は1年で一番の賑わいを見せるのだ。漁船の織りなす光のショーを車窓から眺め、やっぱり早起きは三文の得だねぇと至福を味わいながら農園へ到着する。

空の色が少し薄明るくなっていて、空と山の境界線が目視できる。視線を落とすと、さすが山奥だ。アスファルトの見えていた市街地とは程遠い、雪の積もった白い畑が広がっている。小鳥が朝のさえずりを始めるなか、となりの牛飼いの牛舎はすでに明かりが灯っていて、「モォーウ」という鳴き声とともに牛のうんちを運ぶバーンクリーナーの音が「ガタン、ゴトン」と鳴っている。

酪農の里である八雲ならではのこの光景と音、そして香りに、この地に生まれた幸せを感じる。早朝に車窓から見た内浦湾の光。山にこだまする牛の鳴き声。広大な草地や畑。…この海と山の輝きをいつまでも眺めながら生きていきたい。

当たり前の風景の美しさ(2018年5月)

5月も下旬に入ると、浜では春先から続いてきた耳吊り作業も終盤を迎え、ガヤガヤと賑やかな海岸沿いはようやく落ち着きを取り戻す。それとは逆に、山では農作業が本格化し、畑に堆肥が撒かれその香りが市街地にまで届いてくる。トラクターが耕し始めた畑は、徐々に黒々とした濃い茶色に染まり変わっていく。入沢や東野の水田には清らかな水が張り始め、一斉に田植え機が動き出す。

この一連の人間の営みは、大地に生きる生き様を力強く感じることができ、感動する。子どもの頃は、この当たり前の光景になんの感動も見いだせなかったが、大人になりそろそろ中年にさしかかってきた最近にあっては、なぜか、この当たり前の自然の風景に深く感動し、とても心が安らぐのだ。

社会の中で生きていると、様々な困難や課題にぶち当たる。一見なんの悩みもなくボケーッと過ごしているように見える僕でさえ、実は毎日のようにいろんなストレスを抱えながら過ごしている。大人になり、家族や仕事、社会などに責任を感じるようになれば、おのずと誰もが悩み苦しむことがざらにある。

そんな時に、ふと周りにあるいつもの光景に目をやると、いくらか心が和んでくるのだ。その変わらないいつもの光景を見ていると、自分の抱えている悩みや苦しみなどはいかに小さいことかと思えてくる。心が穏やかになると、様々な課題も冷静に見つめなおせて、一つ一つじっくり確実に取り組めば、どれもこれも解決できそうな問題ばかりであることに気づき、だんだん表情が明るくなってくる。

人間もやはり自然の一部なのだと思う。その自然からあまりにもかけ離れた生活にどっぷりと浸かってしまうと、心が病んでしまうのは当然のことかもしれない。現代の日本は、都会に限らず地方にあっても心が疲れて生きづらさを感じる人が少なくない。

そんな時は、ぜひとも日常の四季折々の光景にじっくりと溶け込んでみるといいだろう。そこで見える風景、そこで聞こえる音、そこで嗅ぐ香り…その当たり前の光景に新鮮さを感じた時、まさしくそれは心がリフレッシュする時。さぁ、今日も元気に生きよう!