(2008年1月)

僕は食に関した仕事にとても興味がある。自分自身が畑作農業を営んでいるせいかもしれないが、農産物以外にも水産物、食肉、加工食品と様々な食べ物に関心がある。食べ物一つ一つが、どのように生産され我々の口に入るのかを、実体験として知って食べなければ、本当のおいしさがわからない、と僕は思っている。だから今までにもチャンスさえあれば様々な食に関した経験をしてきた。

水産物であれば、同期生の漁師のところにバイトしに行って、漁船に乗ってホタテの貝上げ作業などを何ヵ月かやったことがある。普段なら時には就寝時間にもなり得る午前2時に出航し、船に慣れていない僕は船酔いしてゲロゲロのフラフラであり、全く使いものにならない。漁業の苦労を痛いほどよく知ることができ、この体験を得た前と後とでは、魚介類のおいしさの感じ方がまるで変わった。

肉に関しては、小学生の頃こんな経験をした。祖父が近所の養鶏家から生きた鶏を数羽もらってきた。祖父曰く「これからこの鶏シメるから、手伝え」。……冗談は顔だけにしてくれと思った。そんな、生きてコケコッコーと鳴いている鶏を自ら殺して食べるなんて、残酷すぎる。

しかし、じゃあ僕は普段から肉を食べないのか? そんなはずはない。親子丼やザンギ、フライドチキンなど、どれもこれも大好きだ。ここで逃げたら肉を食らう資格などない。覚悟を決めて、バタバタ騒ぐ鶏の胴と頭をおさえた。すかさず祖父が、キラリ光る出刃包丁を高くかざし、ためらいなくふり落とす。ズブッと鈍い音。鶏の首は切り落され、途端に目は白目をむく。血がタラリとでてきて、僕は「ギャーッ!」と叫んで手を離しそうになったが、すぐ祖父に怒鳴られた。

「コラッ! 手を離すな! 離したら、首のないまま胴だけが走るべ!」。

そんなの嘘だろうと思ったが、本当の話らしい。首なし鶏が血をまき散らしながら走り回っている光景なんて、想像するだけで地獄絵図だ。半ベソをかきながら、最後の1羽まで必死におさえてシメるのを手伝った。「いただきます」の言葉の意味が痛いほど、身にしみてよくわかる経験であった。

食品加工の経験はいくつかあるが、純粋に楽しめた。漁師からもらった秋鮭を塩して干してトバを作ってみたり、畑で作っている大根の規格外品を樽に漬けて漬け物を作ったこともある。昔は祖父がドブロクや納豆などを手作りしていて、そばで観察したりもしていた。