夕食の時間まで自室で手紙を書いたり、本を読んだりテレビを見たりして過ごします。今はコロナ渦で無理ですが、緊急事態宣言が解除になり外出が可能な状態になれば、外出レク(レクリエーションの略)もあります。

そのスケジュールが発表になったら事務所に申し込めば、その年の「国際ラン科植物展」「有名レストランでの食事」「デパートでの買い物」「公園での散歩」「クルーズ船でのクリスマスディナー」などに介護員付き添いで出かけることもできます。

勿論費用は何某かかります。ただ、このたっぷりある時間の使い方は良く考えないと「退屈」と紙一重。

新しく入ったお爺さん「退屈だなあー」とばかり仰るので「何か御趣味は?」と尋ねると「将棋は強かったんだが、ここには出来る人おらんでよ」としょんぼり。

「あんたは何しておるの?」

「パソコンで遊んでいます」と私がそう答えると「そりゃ良いわ。「退屈」せんで良いもんな」

この施設のほとんどのお年寄りたちが、何もしようとせずにぼんやりと虚ろな目をして「退屈」にとっぷりと浸かり、慣れ合ってしまっているその中で、これだけはっきりと自分の「退屈」を感じている彼を慰めはするものの、この「退屈」という感覚を忘れてはいけないと、はっとします。

油断していると、そのうちいつの間にか、周囲の無関心の空気に浸りきってしまい、覇気がなく静かで眠くなるような、どんよりとした集団の空気にのみ込まれてしまう。

この個性を飲み込んでしまうような集団の空気は外から見ると、異様で不気味。でもすでに集団に飲み込まれてしまったお年寄りたちにはかえっていいのかもしれない。

老いを目の前にして、目の前の光景に怖気を震っている自分。まだ、あちら側に行きたくない私にとっては、ここは居心地の悪いグレーゾーン。

幸いなことに自分はパソコンを操作できるので、YouTubeをよく見ます。公共のテレビやラジオのニュースでは報道しきれない生々しい現実の存在を知ると地上波のメディアの限界を考えてしまい空恐ろしくなります。

自分の無知蒙昧さ加減を思い知らされるからです。