【前回の記事を読む】“アベノミクス”の失敗を実感した…本当に怖い「金儲けの核心」
創業そして解散
前年、令和元年時、会社の景気は、経営は順調だった。
盆休みになるまでは仕入れ先だった鋼材屋の委託加工で忙しくしていた。経営改善で加工部門の〝アウトソーシング〟とか、いつもながら片仮名用語の解釈共々、向こうの事情はよく分からなかったが、開業以来営業らしいことをしないでいたから、これはありがたかった。
一度新年の挨拶と称して、来社したことのある鋼材屋の五十代後半の社長は二代目で、この頃一種の経営者向け、宗教とおぼしき組織、思想に投身し、すがり、その理念を実行して、己がじし恩沢に繋げようとしているらしかった。
この手の組織は〝アイエスオ〟とか〝アイイシ〟とか〝ジイエス〟とか、経済界には数え切れないほど染みこんでいる、から絡みついてくるのだ。
心はどこかで共存互助を求めている。それが指導者責任者の実態で、皆さん一人が心細いのだ。
それがついつい広い世間に、中心的な我の強い指導者を生む。変だなあと頭で思っていても、強固に言い切られるとそのまま押し切られてしまう。
とにかく経営改善の、いわゆる〝コンサル〟の一つが外部委託らしかった。外へ丸投げは何も目新しいことはない。
〝マルクス〟が指摘する政治家や資本家の一つの行為だ。このやり方の巨大なやつが施しの〝アベノマスク〟だ。
意地に安価な中国製を無視した、自給自足。効果が不織布に劣るとは皮肉だった。まさに綿布丸つぶれ。
似たのには〝アルマルゾルン〟がある。目の黒いうちに見られるかどうかはお楽しみだが、商社が専売商品とか自社製品を持ち始めたから、早晩〝アルマルゾルン〟は消滅するだろう。
何のことはない。超最新の自縄自縛。日常の〝ピンハネ〟する行為が、自身の身を切り刻む自殺になりかねない。
それは〝トンダ自動車〟も同じだ。
いろいろ画策しているようだが、経済の仕組みは簡単、付加価値をつけるからには消費者がいなければ成立しない。
仮に日本の労働者全員が〝トンダ〟の社員だったら、誰一人トンダ車を所有できないだろう。当然国外に向けて経済的侵食が起きる。貧困に富む労働と物欲の豊かな消費に向かって。
今一つ、政治的に同一のグループが一つの区域に寄り合わないのはなぜか。皆答えを持つのがそれになる。多様な形態を包括して人間社会はなり立っている。数千数万の団体の全員が同等に果実を分け合える経済はあり得ない。
何事も不条理な不平等にこそ、凸凹に平等を見いだす矛盾に生きるしかない。
それなのにこの頃は、一握りの大きな凸でこ凸でこに叩きのめされて、その麓ふもとには砕け散った粒々粒が、凹凹が力ちからなく蠢めいている。
よく持ち出される日本の中小企業の実態だが、企業数では九割を、傘下の労働者数で七割を超すと言うから、ならば多数決の民主主義に自らを優位にできそうだが、そうなっていない。国家単位での搾取の構造があるからだ。
それもそうだが何事も仕組み次第。自動車を凶器として社会的に認知したら、殺人犯は収監しきれないだろう。その程度の仕組みの中で生きていかなければならない。
利便性と凶器性の天秤採決。それもそうだし、中小企業で三桁の億を売りあげる下町の企業は一軒たりともない。